ウガヤフキアエズの謎(その2)

ウガヤフキアエズは「日本書紀」によれば、ヒコホホデミトヨタマビメの間に出来た子。俺はこの伝説に疑問を持っている。それについて誰か他に指摘している人がいるかは知らない。


俺が考えるこの伝説の謎とは、ウガヤフキアエズが一人っ子であるということ。


アマテラス・ツクヨミスサノオは、ほぼ同時に生まれた三兄弟。アマテラスとスサノオの誓約で生まれ、アマテラスの子とされたのが、アメノオシホミミ以下五兄弟。アメノオシホミミの子がニニギ(「一書」によると兄にアメノホアカリがいる)。ニニギとコノハナサクヤビメの間に、ほぼ同時にに三兄弟が生まれヒコホホデミが末子。ヒコホホデミの子がウガヤフキアエズウガヤフキアエズタマヨリビメの間に四兄弟が生まれ、神武が末子。


ニニギが微妙だけれど、あとはウガヤフキアエズを除けば兄弟がいる。しかも神武兄弟を除けば、ほぼ同時に誕生した兄弟だ(神武兄弟もおそらく同時に生まれたのだろうと俺は考えている)。


なぜウガヤフキアエズは一人っ子なのか?ウガヤフキアエズが実在して、実際に一人っ子だったからという可能性もゼロではないが、まずありえないだろう。これはあくまで「伝説」だと考えるべきだろう。


一人っ子なのには意味があるとして、その理由を考察するというのもありだろうが、俺が最も可能性があると思うのは、ウガヤフキアエズには本当は兄弟がいたということ。

トヨタマビメは海宮で懐妊したが、天神の子を海の中で生むわけにはいかないとして、陸に上がってきた。浜辺に産屋を作ろうとしたが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終らないうちにトヨタマビメが産気づいたため、「ウガヤフキアエズ(鵜茅葺き合えず)」と名付けられることになった。

ウガヤフキアエズ - Wikipedia



「鵜の羽を葺き終らないうちに」産気づいたために「ウガヤフキアエズ」の名付けられた。こういう伝説があるのであれば、「鵜の羽を葺き終った」ときに産まれた子がいてもいいはずだ。というか、その方が伝説としては自然じゃないだろうか?

はじめ燃え上がった煙から生まれ出た子を、火闌降命と名づけた ―これが隼人らの始祖である―。次に熱を避けておいでになるときに、生まれ出た子を、彦火火出見尊と名づけた。次に生まれでた子を、火明命と名づけた ―これが尾張連らの始祖である―。
(『全現代語訳 日本書紀』 宇治谷孟 講談社

コノハナサクヤビメの出産は「書紀」本文にこうある。炎の状態によって名前が付けられているのだ。コノハナサクヤビメの伝説とトヨタマビメの伝説には類似点が多いと思うが、子の名前の付け方も類似している。しかしトヨタマビメは一人しか子を産んでいない。これは不自然だ。複数、おそらく三人の子を産んだと考えるほうが自然ではないか?


なぜトヨタマビメが一人しか子を産んでいないことになっているのか?俺は、数の子がいることが大和朝廷にとって不都合であったので、その存在を抹消したのではないかと思う。


一体何が不都合だったのか?それはウガヤフキアエズが長男だということではなかろうか。伝説のパターンでは、英雄は弟で兄は敗者なのだ。コノハナサクヤビメの長男は弟に服従し「隼人らの祖」となった。もしウガヤフキアエズが長男で、大和朝廷の祖ということになれば、隼人と大和朝廷は同じ「敗者の子孫」という立場になってしまう。それはまずい。だから抹消したのではないだろうか?


では、なぜ、そもそも隼人と大和朝廷が同じ立場になってしまうような「伝説」が存在したのか?それは実際に隼人(ハヤト)と大和(ヤマト)を同じ立場の存在であると見なす「伝説」があったということではなかろうか?



我ながらかなり飛躍した考えになってしまったと思う…全く自信なし。