経済学者の「当たり前のこと」って何なの?

経済学者が「当たり前のこと」を伝えられる日は、やってくるのか(ダイヤモンド・オンライン)


「当たり前のこと」って例えば「1+1=2」だとかの、誰に聞いても「当たり前」なことなのだろうか?そこまで行かなくても、「水は何にも知らないよ」というような、一部ではそう考えない人もいるけれど、科学の世界では「当たり前のこと」ということだろうか?


そういうことなら「当たり前」のことを伝えるのは、それこそ「当たり前」にしてほしいですね。


ただ、ネットの掲示板なんか見てると、書き込んでいるのは学者じゃなくて素人なんだろうけれど、自分の気に食わないものはなんでも、間違っている(というか「悪の手先」みないな感じ)って批判をしている人がいっぱいいるじゃないですか。そういう人にとっての「当たり前のこと」って、要は自分が支持している考え方のことで、それ以外は間違っているってことでしょう。


で、そういうことは素人だけじゃなくて、ネットを見ているとプロの方もやっているわけですよ。誰とは言わないけれど(まあ誰かはネット中毒者ならわかると思うけれど)、どっちもお互いに、自分の方が「当たり前」のことだという姿勢で、やり合っているんじゃないんですかね?で、その記事のブックマークのコメントもやはりそんな感じ。


「当たり前」というからには、経済学者100人のうち、100人とは言わないまでも、99人くらいが「当たり前」だというものが「当たり前」ということなんじゃないかと、俺なんかは思うけれど、それが経済学者の言う「当たり前」ということでは無さそうに思ってしまうんですけどね。