ところで、記紀神話にはイザナギ・イザナミが日本列島を産んだとあるが、アメリカ大陸やアフリカ大陸を産んだのは誰だという疑問について前に書いた。
同様に、高天原の神はニニギを日本列島(葦原中国)の支配者としたが、では、アメリカ大陸やアフリカ大陸の支配は誰に任せたのだろうかという疑問が湧くのだが、記紀には何も書いていない。
もちろん、これも常識的に考えれば、アメリカ大陸やアフリカ大陸の存在を知らなかったからだということになる。そして中国大陸の支配者について書いていないのは、これも同様に、神話の原型では、ニニギは「地上の支配者」であった結果であると考えるべきではないだろうか(ただし「葦原中国」とあるので辺境は除かれていたのかもしれない)。
つまり、神話の原型では「葦原中国」とは地上の全てとはいわないまでも、主要な部分を指す概念ではあったが、具体的な範囲としては神話の最終形で定義されている日本列島ではなく、その時代に神話を伝えていた民の知る範囲に限定された狭い地域であった。後にその範囲は拡大していったが、逆に「地上の支配者」という意味は薄れていき、大和朝廷の支配の及ぶ範囲が日本列島より外には拡大しなかったので、中国大陸の存在が宙に浮いてしまったということではなかろうか。
もし、そうだとするならば、「葦原中国」の元の支配者であるオオアナムチの神話の舞台となった「イズモ」も、現在の出雲(島根県)ではなかったかもしれない。その場合、考えられる可能性は二つあると思う。
一つは神話の舞台となった場所がどこであるのかを、いつの年代か不明だが古代人が考えて、その場所は「出雲」であると決定された可能性。つまり「邪馬台国」がどこにあったのかという問題で「大和」にあったとか「北九州」にあったとか言われているが、それと同じようなことが古代でもあったということ。
もう一つは、「イズモ」は神話上に登場する地名であり、やはりそれがどこにあったのかを考えた結果、現在の島根県が「イズモ」であると比定され、国名とされた可能性。
いずれにせよ、「出雲神話」と「出雲国(島根県)」は元々は特に関係がなかった(比定されたのには何か理由があったのだろうけれど)という可能性は十分あると思う。
(つづく)