「釣り」の定義がよくわからなくなってきた

俺は、たとえば、

  • 「死刑制度廃止に賛同しない奴は死刑にすべき」みたいな話を、一見するともっともらしい文章で公開して、賛同者が出てきたところで釣り宣言。
  • 「○○なのがウヨ(サヨ)の特徴だ」とか書いて、「サヨ(ウヨ)」が同調したら、「でも、それってサヨ(ウヨ)にも当てはまるよね」と釣り宣言。

みたいな、つまり、冷静に考えればわかっても良さそうなことに、脊髄反射してしまう人をいじくって遊ぶのが「釣り」だと思ってたんだけれど、一般的にはどうもそうではないらしい。


どういうのが「釣り」なんだろうか?


本人が本当はそう考えていないことを書くことを「釣り」と定義しているらしくも見える。しかし、本人が本当はどう考えているかなんて、その人について良く知ってなきゃわからない。「釣られやがった」なんて言われても、「そんなん知るか」って話じゃないだろうか?あるいは陰謀論めいたことを書いておいて、「そんなわけないだろ」みたいなこと言われても、「お前が陰謀論者かそうでないのかお前は知ってるかもしれないが、こっちは知らない」って話じゃないだろうか?


あと、本人はそう考えているんだけれど、それを大げさに書くことを「釣り」と定義しているようにも見える。これだって書いてる本人は大げさに書いてることを知っているかもしれないけれど、こっちの知ったことじゃない。


これらのことに「釣られた」からって、こっちには何の落度もない。どうも良くわからん。


もっと良くわからないのは、書いた本人が「釣り宣言」してるのでもなんでもないし、明確な証拠もないのに、勝手に「あれは釣りだ」みたいに自己解決してる人が多いこと。そうすることで精神の安定を得たいということだろうか。



(過去記事)
「釣られる」
最近ネットを見ていて、気になるけど放っておこうと思うパターン。