「右傾化」の正体

「右傾化」というと「全体が右に傾く」というイメージがあると思われる。すなわち、右だった人が極右になり、ちょい右だった人が右になり、真ん中だった人がちょい右になり、ちょい左だった人が真ん中になり、といった具合に全体が少しずつ右に移動することによって右に傾くといったイメージ。


シーソーで言えば左右10人対10人でバランスが取れていたのが、シーソーの中心のすぐ左にいた人が右にいた人を押して右側に移動し、押された右側の人は1人分ずつ右に移動し、1人分空いた左は後ろの人が順に前に移動して隙が出ないようにして、全体では右が11人、左が9人でシーソーが右に傾いた状態になったような感じ。


しかし実はそうではないと俺は思う。


そうではなくて、シーソーの左側の端に座っていた人が一度シーソーから降りて右に移動して、シーソーの右の端に座って11対9になったという方が実情に近いと思う。


つまり左の一番極端な人達が右に転向したということ。実際かつて左だった右という実例はよく聞く。あるいは一昔前なら左の活動家になったであろう種類の人達が、今は右の熱心な活動家となっているのではないかということ。それ以外の人達に大きな変化がなくても、それでバランスは変わるのである。


ハイエクの『隷属への道』(春秋社)にこうある。

あまり知られてはいないが、一九三三年以前のドイツや一九二二年以前のイタリアでは、共産主義者ナチスファシストたちの間には、ほかのどの党派間にもまして頻繁な衝突があった。これらの政党は、同じようなタイプの心を持った人々の支持を獲得しようと争っていて、それぞれ相手を異端者のように憎悪していた。だが彼らの実際の活動は、彼らが互いにいかに似通っているかを示していた。そしてこれら両者にとって本当の敵は、古いタイプの自由主義者であった。というのも、自由主義者は彼らと共通の考えをまったく持っていなかったため、説得できる可能性が完全にない人々だったからである。


いわゆる「ウヨ」と「サヨ」が似た者同士だということは良くいわれるところである。それは右でも左でも極端に走れば似てくるという解釈がなされることが多いけれども、事実は彼らが「同じようなタイプの心を持った人々」だからである。だから「ちょい右」が「ウヨ」になるよりも、「サヨからウヨ」「ウヨからサヨ」になるほうが余程容易なのだ。