左翼の左傾化について

左翼と一口に言っても右派・中間派・左派とかあるんだけど、理想は一緒で、違いというのは、理想の実現のためにどういう手段を取るべきかの違いであって、ひたすら理想を目指して妥協しないのが左派急進派で、理想は段階的に実現させていくべきで、妥協も止む無しとするのが右派穏健派。で、左派は純粋だけど空想的、右派は現実的だけど軟弱で、右派もできることなら妥協なんてしたくないんだけど、それじゃ結局一歩も進まないんです、左派の考えが立派なのはわかるけど、そこをわかってくださいとか言い訳したりして、そう言いつつも純粋な左派に憧れを持っていて、目的のためとはいえ妥協してしまう自分に引け目を感じたりして、できる限り左派が満足できるよう協力しようと考えている。


…というのが俺が(色眼鏡で)見ている左翼のイメージ


朝日・毎日・東京・北海道新聞などは、左寄りであるという評価が一般的だけど、いくら左寄りだからといっても、何でそこまで極端に偏っているコラムや投書を載せるんだ?って、例えれば、何気なくテレビを見ていたらアダルトビデオ(それもマニアックな)が放送されていたみたいな、AVが駄目だっていうわけじゃないけど公共の電波で流すのはどうよ(どんな例えだ)って感じの衝撃を受けることがあるんだけど、そんなことが起きる原因は、左翼は左翼を否定できない、みんな理想は一緒だからみたいな感覚があるのではないか…


まあ、右は右で、「右の朝日」と一部で呼ばれている産経があるんだけど、一般的には、よそはよそ、内は内、一致できる部分は協力すればいいって感じ(そうでない人もいるけど)。俺なんか西尾幹二氏が「真の保守云々」とか言って悲憤慷慨していても、「ああそうですか」ってなもんで、まったく心を動かされない。なぜなら、理想を同じくする中での穏健派と急進派という関係ではなくて、単に考え方の違う人の言っていることだから。


右は「目的+手段」がワンセットであって、どっちか一つが違っていれば別のものという感じ。左は、異なるのは手段であって目的は一致しているという感じ。目的が同じであるという仲間意識のために、手段の違いで、より激しく憎み合うという場合もあるけれど、目的と手段を切り離して思考することができるので、穏健左翼でも急進左翼の掲げる主張を容易に受け入れることができる。すると外部からは、真ん中よりちょい左であって、位置的には急進左派より中間層に近いのに、実際よりも赤方偏移しているように見え警戒感を呼ぶ。しかし本人はそういう自覚がないので、その手の批判は右翼の誹謗中傷であると決め付ける。


以上、外部の一個人から見た左への偏見でした。