「インテリは左たらざるをえない」

ウヨクはバカに見える - 今日の雑談

これってごく単純に「インテリは左翼だ」ってのが流行や一種のモードだったということだけなんじゃないかな。反体制即カッコイイの感覚。それが今でもまだ続いてる。

いや、そういうことではないです。そもそも俺の見るところ、保守主義者の多くは、左翼を理性主義者と認識しています。ドラッカーもその一人です。

啓蒙思想は人間の理性が絶対であることを発見した。この発見から、その後のあらゆるリベラルの信条が生まれ、さらにはルソーに始まるあらゆる種類の全体主義の信条が生まれた。(中略)理性主義の真髄は、絶対理性の完成を生身の人間に行なわせるところにある。

そして、「インテリは左たらざるをえない」の部分を、少し長く引用すれば、

 彼らは自らの教義が理性的であるとする。理性的な手段によって、自らの教義に意味のある働きをさせることができると主張する。彼らは、自らの教義の正しさは理性に照らして明白であるという。かくして理性主義のリベラリズムは、自らの教義を理性の力によってしか政治行動に移せないことになる。そして失敗する。
 一方において、彼らは反対論を認めることができない。絶対真理に対する反対だからである。他方、彼らは反対論と戦うこともできない。間違いは情報不足の結果にすぎないからである。彼らにとって絶対真理に対する反対は何かの間違いにすぎない。ヨーロッパ及びアメリカにおいて、一九二〇年代、三〇年代にはやった「インテリは左たらざるをえない」とのセリフほど、この間の事情を明らかにしているものはない。

(『イノベーターの条件』ダイヤモンド社

(この本はjura03さんにとって読んで損はない本だと思います)


つまり、「反体制即カッコイイ」ではなくて「理性的でないものは許せない」という感覚ですね。


一方、保守主義者とは何かといえば、理性というものに懐疑的な立場の人だということができるでしょう。だからこそ伝統とか慣習とかを重視するわけです。しかし、それは理性主義者から見ればバカに見えるのでしょう。ただし「保守」を自称していても、そうではない人(過去の「古き良き時代」を理想とし絶対視するような、左翼的信条に近い人達など)もいる、というかそっちの方が目立つんだけど。


もちろん現代においては、このようなベタな左翼ばっかりじゃないけれど、そしてむしろ右翼と呼ばれる人達の中に、そのような人達が目立つという逆転現象さえ起きているんじゃないかとさえ思うけれど、それでも基本はそういうことだと思ってます。



ところで「科学」は保守か革新かという問題意識を持ってみると面白いんだけれど、それはまた今度。