オリンピック開会式は自虐的?

五輪開会式に見る「国の自己紹介」の難しさ | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 まず、ボイル監督は英国の原点を「農村」に置きました。豊かな緑と穏やかな気候に守られた農村が国の原点という見方です。続いて産業革命が大きく国家のありようを変えますが、その主役はあくまで労働者という描き方がされます。更に二度の世界大戦での勝利ということも描かれますが、これも無名の兵士への賞賛という視点、そして戦後に達成した「福祉国家」英国の誇りとして国民皆保険制度(NHS)が大きく取り上げられます。


オリンピック開会式が自虐芸なイギリス - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

これを見て、イギリス人なら「ああ」と思ったわけです。監督が描いたイギリスの歴史は、王様や貴族からの視点ではなく、イギリスに住む一般庶民の歴史だったからです。

このボイル監督の政治信条がどのようなものなのかは知らないけれど、庶民目線だから「左翼的」ってのも妙な話。

 千七百七〇年には、イギリスのあらゆるものが啓蒙専制主義に向けて歩を速めていた。しかるに、わずかその一〇年後の一七八〇年には、反全体主義が地歩を築いた。アメリカの独立戦争に負けた国王は力を失い、絶対の権力を回復することは不可能となった。しかも、国王のライバルだった革命主義者、すなわち国王による専制と中央集権制に代わるものとして自らによる専制絶対主義、中央集権政府の確立を狙っていたルソーの流れをくむ全体主義者も力を失った。国王の絶対主義も、大衆の絶対主義も力を失った。

(『イノベーターの条件』P・F・ドラッカー ダイヤモンド社


イギリスは「国王の絶対主義」でも「大衆の絶対主義」でもない。両者のどちらかというような視点自体が「ヨーロッパ大陸」的な視点なわけですね。

一九世紀のイギリスでは、すでに自由党と保守党が同じ自由な社会の理念に立っていた。彼らの対立は、自由そのものをめぐってではなく、自由の限界についてにすぎなくなっていた。それは、自由の本質や意味をめぐっての対立ではなく、官と民の主導権をめぐる昔ながらの対立にすぎなかった。
 しかるにヨーロッパ大陸では、リベラルを称する政党は、理性主義であり、絶対主義であり続けた。それらは真の自由を否定するものだった。大陸において保守党と称するものの、理性主義、絶対主義であり、そちらのほうは反動主義であるにすぎなかった。

(同上)