神武東征伝説と「幻の大和国」(その5)

神話に登場する国譲り神話は、この国造家がその権威を大和朝廷から次第に剥奪され、ついには出雲大社の神官というだけの地位までになり、意宇郡の大半の権利を平安期に剥奪され、現在の大社町を中心とする西出雲に押し込められた形となった経緯を神話として今に伝えていると考えられる。

古代出雲 - Wikipedia

ウィキペディアにはこういう解釈がまるで「定説」であるかのように書かれている。ネットを検索してみても、これとは違うバージョンもあるけれど、要するにヤマト王権がイズモを剥奪した歴史を「神話化」したものだという解釈が多い。


出雲神話はそのようなものではないと主張すればトンデモ視されかねない。しかし、おそらく今でも「定説」はむしろ、「史実ではない」というものではないかと思われ、このあたり非常にややこしくて、何が何だかよくわからない状態。


それはともかく「神話を神話として解釈する」という立場の俺からすれば、大己貴神(オオアナムチ、大国主)の国譲りの神話は、素直に読めば、それはヤマト王権がイズモを剥奪した話でないのは明らかなのであり、そのような解釈は「神話の改竄」だと言いたくなる。


葦原中国平定 - Wikipedia


一番肝心なのオオアナムチが合意の上で国を譲ったのか、本当は強引に奪われたのかということではなく、オオアナムチが譲ったのは日本の一地域であるイズモ地方ではなくて「葦原中国」つまり「日本」を譲ったのだということ。「日本書紀」の本文を素直に読めばそうなる。


これを、日本国外からやってきた勢力が、旧支配勢力を追い出して日本を支配した話だとするなら、まだわからなくもないが、ヤマト王権がイズモ地方を剥奪した話だとするのは、かなり強引な解釈だと思う。しかし、そう思わない人がいっぱいいるらしい。不思議。


(つづく)