イザナギ・イザナミ天降りの謎

天孫が葦原中国を支配する正当性
のつづき


ところでイザナミイザナギの国産み神話は大きく分けて二種類ある。


一つはイザナギイザナミ二柱の神が自主的に国造りをするもので『日本書紀』本文、一書(第二)、一書(第三)、一書(第四)がこれに該当する。


もう一つは命令によって国造りをするもので『日本書紀』一書(第一)と『古事記』がある。『日本書紀』一書(第一)では「天神謂伊弉諾尊伊弉冊尊曰」とあり、『古事記』では「天つ神諸の命もちて」とある。


どっちが本来の神話か判断するのは難しい。そもそも本来の神話といっても記紀神話が成立するには何段階もの過程があったはずだし。


ただし、日本書紀』一書(第一)と『古事記』で天孫降臨を命じているのがアマテラスだというのは注目すべきことだろう(ただし『古事記』では最初がアマテラスのみであるものの、後はアマタラス・タカミムスヒになっている)。


これをどう解釈するのかも難しい問題だが、俺はイザナギイザナミに国造りを命じた「天神」と天孫降臨を命じた神は本来は同一の神ではなかったかと推測するのである。すなわち、天孫降臨を命じた神は本来は「天神」であったものがアマテラスに変化したのではないかということだ。


※なお「天つ神」については「天つ神一同」「天つ神達」と複数形で解釈されているみたいだけれど、なぜそのような解釈になるのか俺にはわからない。名前が書いてないから複数だということだろうか?しかし名前が不明、または名前が無い神なのかもしれないではないか?「天つ神諸の命もちて」の「諸」が複数を意味するということだろうか?「諸の命」とは複数の命令という意味ではないのか?よくわからない。



さて、俺は、この「天神」は絶対神的な存在であり、故に葦原中国統治の命令を出す権限を有しているものであろうと考える。なお『書紀』一書(第一)では「天神」はイザナギイザナミに「豊葦原千五百秋瑞穂之地を汝らがおさめよ」と命じている。これはアマテラスの葦原中国平定の命令と同類の命令であり、すなわち本来はアマテラスの命令ではなく「天神」の命令であったことを推測させる


その「天神」とはどのような神であっただろうか?この神がタカミムスヒであったのなら、そう書けば良いだろうと思う。そう書かなかったのはタカミムスヒではなかったからであろうと俺は思う。


しかしながら、葦原中国平定の命令をした神が「天神」からアマテラスに変化してしまったために問題が発生してしまったのだろう。すなわち既に書いたように、天孫葦原中国を統治する正当性が薄れてしまったのだ。


その問題を解消するためには、もう一度「天神」を復活させる必要がある。だがアマテラスを今さら抹消するわけにはいかない。


そこで「天神」と同様の機能を持つと考えられる神が天孫降臨神話に付け加えられることになった。それがタカミムスヒではなかろうか?


天孫降臨神話以前にタカミムスヒが登場するのはごく僅かしかない。一つは『書紀』一書(第四)天地開闢条で、もう一つは『書紀』一書(第六)のオオアナムチの国造りの条。そして、『書紀』一書(第一)の天の岩戸条でオモイカネの父として名が登場し、『古事記』天地初発条、天岩屋戸条だ。


タカミムスヒの登場回数が少ないにもかかわらず、イザナミイザナギに命じた「天神」が登場する『書紀』一書(第一)と『古事記』のどちらにもタカミムスヒが登場し、しかも「天神」はタカミムスヒではないというのは注目すべきことだろう。


(まだつづくかも)


※ なお試行錯誤中なので今後考えが大幅に変わるかもしれないけれど、そこは許してくださいませ。