天孫降臨神話の真実(その14)

天孫降臨神話の真実(その13)
天孫降臨神話の真実(番外編)


「天岩戸神話」は『日本書紀』の「本文」「一書第一」「一書第二」「一書第三」および『古事記』に記されている。

※ ウィキペディアにそれぞれの内容が現代語で書かれている。
天岩戸 - Wikipedia


その中で「一書第三」は一風変わっている。


「日神」が石窟から出てくる少し前のこと。「日神」が「頃者人雖多請。未有若此言之麗美者也」と発言している。ウィキペディアの現代語訳では、

すると、日神はこれを聞いて、「頃者(このごろ)、人、多(さわ)に請(こ)うと雖(いえ)ども、未(いま)だ若此(かく)言(こと)の麗美(うるわ)しきは有らず。」 意味:「これまで人がいろいろなことを申してきたが、未だこのように美しい言葉を聞いたことはなかった」 と言って、細めに磐戸を開けて様子を窺った。その時、天手力雄神が磐戸の側に隠れていて、引き開けると、日神の光が国中に満ち溢(あふ)れた、とある。

となっている。なぜか「人」とある。


「日神」が石窟から出てきて後、「神々」はスサノオ「汝所行甚無頼。故不可住於天上。亦不可居於葦原中国。宜急適於底根之国。」と言って追放した。他の書でもスサノオ高天原から追放されているけれど、葦原中国にもいてはだめで、根の国に行けと命じているのは「一書第三」だけで、『書紀』の他の書で根の国に行くことを命じるのはイザナギイザナミであり、『古事記』ではスサノオ根の国に行くことを欲したとある。


そうして追放されたスサノオだが、再び姉に会うために天に昇ってくる。日神は警戒するがスサノオは誓約(うけい)をして清い心を証明し、根の国へ行くことになった。他では「誓約」は「天岩戸」の記事の前にあるのに「一書第三」だけは「天岩戸」の後にある。そのため、一度天から降りて再び天に昇るという不自然な話になっている。


なぜそうなっているのかわからない。俺の推理では「人」という文字が出てくるところから考えて「神々」が実は人間で、彼らは地上において日招きの祭祀を行ったのであり、スサノオが暴れたのも天ではなくて地上だというのが本来の神話だったのではなかろうか?その後スサノオが天に昇って姉に別れを告げて根の国へ行ったということではなかろうか?だとすると「一書第三」の「天岩戸神話」は世界に流布する「招日神話」により近い形の神話ということになるだろう。自信があるわけではないけれど。


さて、この「一書第三」で最も注目すべきなのは、「日神」が石窟から出てきて「神々」に追放された後の記述だ。

乃共逐降去。于時霖也。素戔鳴尊結束青草以為笠蓑、而乞宿於衆神。衆神曰。汝是躬行濁悪、而見逐謫者。如何乞宿於我。遂同距之。是以風雨雖甚、不得留休。而辛苦降矣。

日本書紀(朝日新聞社本)


「于時霖也」とある。「霖」とは長雨のことだから「このとき長雨が降った」という意味だ。スサノオは青草で笠蓑を作り、神々に宿を乞うたが断られた。風雨は甚だ激しくて留まり休むことが出来ず苦しみながら天から降りた。


天から降りる途中に神々の家があるというのも不思議な話だが、それはともかく注目すべきは「長雨」だ。何気なく見ていれば何とも思わないだろうが、「天岩戸神話」が「洪水神話」を「招日神話」で上書きしたものだと考える俺にとっては、これは「洪水神話の残滓」ではないかと思えてくるのだ。既に「日神」は岩戸から出た後だから辻褄は合わないけれど、それでも「長雨」があったという記事が「洪水神話」と無関係には思えないのだ。


「長雨」の記述があるのは「一書第三」だけだ。


すなわち「密閉された空間」に閉じこもったのが太陽だとはっきりわかる神話には「長雨」の記述があり、「密閉された空間」に閉じこもったのが太陽かはっきりわからない神話には「長雨」の記述が無いということだ。


これは「洪水神話」を「日招神話」で上書きする際に取られた手法が二種類あったということではなかろうか?つまり、太陽が閉じこもったことを明記する代りに「長雨」という洪水神話の要素を残す方法と、太陽なのか曖昧な記述をする代りに、洪水に関することは消去するという方法が取られたのではないかということだ。


(つづく)