アマテラスとタカミムスヒ(4) 失敗した子作り

ヒルコの出生について『日本書紀』本文は以下のように記す

《第五段本文》次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。次生草祖草野姫。亦名野槌。既而伊弉諾尊伊弉冊尊共議曰。吾已生大八洲国及山川草木。何不生天下之主者歟。於是共生日神。号大日〓貴。〈大日〓貴。此云於保比屡〓[口+羊]能武智。〓音力丁反。一書云。天照大神。一書云。天照大日〓尊。〉此子光華明彩。照徹於六合之内。故二神喜曰。吾息雖多。未有若此霊異之児。不宜久留此国。自当早送于天、而授以天上之事。是時天地相去未遠。故以天柱、挙於天上也。次生月神。〈一書云。月弓尊。月夜見尊。月読尊。〉其光彩亞日。可以配日而治。故亦送之于天。次生蛭児。雖已三歳脚猶不立。故載之於天磐〓[木+豫]樟船、而順風放棄。次生素戔鳴尊。〈一書云。神素戔鳴尊。速素戔鳴尊。〉此神有勇悍以安忍。且常以哭泣為行。故令国内人民。多以夭折。復使青山変枯。故其父母二神勅素戔鳴尊。汝甚無道。不可以君臨宇宙。固当遠適之於根国矣。遂逐之。

日本書紀(朝日新聞社本)


イザナキ・イナザミが大八洲国と山川草木を産んだ後、天下の主を生むことにした。そして「日神」を生んだ。「オオヒルメノムチ」という。一書に「アマテラスオオミカミ」という。一書に「アマテラスオオヒルメノミコト」。この神は光輝いて国の内を照らした。
(一見「アマテラス=太陽」のようだが、この神を「アマテラス」と呼んでいるのは「一書」であって、本文では「日神」とあることに注意しなければならない)


二神は喜んで、我々の子は多くいるが、これほどの子はいない。この国にとどめておくのは良くないので天に送って天上の仕事を授けよう。このとき天地はまだ遠くなかったので「天柱」で天上に送った。
(一見「日神」は大変優れているので天上に送られたようにみえるが、二神の目的は「天下の主」を生むことだ。すなわち子作りに失敗したのだ。希望と違う子が生まれたので天上に送ったのだ。別の言葉でいえば「追放した」ということであり、あるいは「捨てた」ということだ)


次に月神を生んだ(一書に「ツキヨミノミコト」という)。この子も日に次いで光り輝いていた。この子も天上に送った。
(「日神」と同様に「月神」も捨てられたのだ)


次にヒルコを生んだ。三歳になっても立つことができなかった。天磐樟船に乗せて放棄した。


次にスサノオを生んだ。この神は勇敢で残忍であり常に泣いていたために国内の人民が多数夭折し、また青山は枯れた。父母はお前は宇宙に君臨してはいけない。必ず遠い根の国にいきなさいといって追放した。



以上、イザナキとイザナミは「天下の主」を生もうとしたが全て失敗に終ったのだ


※ ところが「第六段本文」には

是後伊弉諾尊神功既畢。霊運当遷。是以構幽宮於淡路之洲。寂然長隠者矣。亦曰。伊弉諾尊功既至矣。徳文大矣。於是登天報命。仍留宅於日之少宮矣。〈少宮。此云倭柯美野。〉

とある。まだ「天下の主」を生んでいないのにもかかわらず「伊弉諾尊神功既畢」というのは不思議だ。またイザナミがその後どうなったのかも書いていない。


それはともかく「日神」「月神」「ヒルコ」「スサノオ」は全て「失敗作」であり、全て「捨てられた」のだ。なお「第四段本文」によれば二神が最初に生んだのは「淡路島」でこれも失敗だった。


神が何度も子作りに失敗するというのは不自然だ。おそらく大元の神話では「男女の神の最初の子作りが失敗した」という話だったと思われる。すなわち「日神」「月神」「ヒルコ」「スサノオ」「淡路島」は全て一つの神格が分裂したのだと考えることもできるのではなかろうか。実際記紀神話において「ツクヨミ」と「スサノオ」の混同が確認できる。もちろん分裂した後にそれぞれが独自に発展し、また他の系統の神話と習合しているのではあるけれど。