天孫降臨神話の真実(その12)のつづき
太陽神アマテラスが太陽として振る舞っていると考えられる神話は俺のみるところ「天岩戸神話」くらいのものだということは既に何度も書いた。
だが、その「天岩戸神話」でさえ、アマテラスが太陽だとはっきりわかるのは『日本書紀』の「一書第三」に「日神」の光が国中に満ちたとあるのみで、他ではアマテラス自身が太陽なのか、そうでないのかはっきりしない。
一方、世界に流布する「招日神話」では太陽が隠れたと考えて間違いないものが多い。
⇒日本神話の御殿 - 太陽喪失/隠れた太陽
だからアマテラスも太陽なのだと考えることは可能だし、実際考えられている。しかし「天岩戸神話」は「洪水神話」とも共通点が多い。
「招日神話」では「天岩戸神話」と同じく太陽が「岩屋」に隠れたというものもあるが「山の後ろ」に隠れたというものもある。太陽が隠れたのが「密閉された空間」かそうでないのかは重要な違いだと思われる。
「洪水神話」で密閉された空間に閉じこもるのは太陽ではない。だがノアなどの洪水伝説の主人公が密閉された空間に閉じこもるのと同時に太陽も隠れている。もちろんこの場合は密閉された空間に閉じこもったから太陽が隠れたという話ではないけれど。
俺は「洪水神話」と「招日神話」は同根の神話だとほぼ確信している。
どちらが古いかといえば、おそらく「招日神話」だろう(ただし日本にその順番で到来したかは別問題)。
俺の推測では、おそらくその神話では太陽が密閉された空間に隠れたのではなくて、「太陽と密接な関係のある神」が閉じこもったことにより太陽が消失して世の中に災厄が起き、その神が再び現れたことにより太陽も復活したというような話ではなかったかと推測する。それが変化して現在の「洪水神話」と「招日神話」になったのではなかろうかと思う。なお「洪水伝説」は紀元前1700年代以前に遡ることができるから、その原型となればさらに過去の時代ということになる。
ところで、「太陽と密接な関係のある神」と書いたが、より具体的に書くと、その神は「太陽の運行を司る神」だと思われる。
そんな神が存在するのかといえば、外国の神話を見ればちゃんと存在する。
しかもその神は「女神」だ。
※ なお「迎日神話」には「射日神話」がセットになっているケースが多いのだが、中国の「射日神話」で太陽を射た羿(げい)という弓の名手は彼自身もまた太陽神だという指摘がある。その詳細は不明だが、俺的には羿は「太陽の管理者」として10個の太陽を一つに減らしたということではないかと思う。羿はそういう点でアマテラスに近い存在なのではなかろうか。
(つづく)