太陽神アマテラスが太陽として振る舞っていると考えられる神話は俺のみるところ「天岩戸神話」くらいのものだということは既に書いた。
その「天岩戸神話」が実は「創世記」などにある「洪水神話」が「招日神話」によって上書きされたものではないかということを前回書いた。
だが「天岩戸神話」で密閉された空間(岩窟)に閉じこもったのはアマテラスであり、アマテラスは太陽だと考えられている。一方「創世記」で密閉された空間(箱舟)に閉じこもったのはノアであって太陽ではない。
これをどう考えればよいのか?
だから俺の仮説は間違っていると考えることもできる。だが俺はそう考えない。
『日本書紀巻第一 神代上』の第七段本文(日本書紀(朝日新聞社本)より、以下同じ)
乃入于天石窟。閉磐戸而幽居焉。故六合之内常闇、而不知昼夜之相代。
天照大神が石窟に閉じこもったら国中が常闇になったとあるけれど天照大神が光輝いていたという描写はない。
「一書第一」より
乃入于天石窟、而閉著磐戸焉。於是天下恒闇。無復昼夜之殊。
上に同じ。
「一書第三」より
至於日神閉居于天石窟也。
是時天手力雄神侍磐戸側。則引開之者。日神之光満於六合。
「日神」が石窟から出てくると「日神」の光が国中に満ちた。
かれ、ここに、天照大御神見畏みて、天の岩屋戸を開きてさしこもりましき。ここに高天原皆暗く、葦原中国悉に闇し。これによりて常夜往きき。ここに万の神の声はさ蠅なす満ち、万の妖悉に発りき。
天照大御神が岩屋戸に籠もると闇になり出てくると明るくなったとある。
岩窟に閉じこもったのが太陽だとはっきりわかるのは「一書第三」のみだ。
他は閉じこもったのが太陽だと解釈することも可能だが他の解釈も可能だ。
すなわちアマテラスが石窟に籠もると同時に太陽も消え、石窟から出てくると太陽が出てきたという解釈も可能なのだ。
※ なお「一書第三」は他の神話と比べて著しく内容が異なっている。それについては後ほど。
(つづく)