タカミムスヒからアマテラスへという戦後知識人の妄想

「アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る」溝口 睦子 著 | Kousyoublog
はてなブックマーク

五〜六世紀以前の日本は無文字社会であったから、史料はほとんど残っていない。ゆえにほぼ海外の文献と考古学上の調査から推定していくしかないのだが、そのような中でもほぼ学会で定説となっているのが、この七世紀頃に国家神がタカミムスヒからアマテラスへと転換したというものだ。では、その転換は何故起きたのか、そして何故アマテラスが選ばれたのか?答えは勿論「わからない」である。

現代人(特に進歩的な人)には「聖徳太子はいなかった」とか「アマテラスではなくタカミムスヒが皇祖神だった」とかいった話が受け入れられやすいのだろう。戦前・戦中の思想を否定して「われわれは変わったのだ」という感覚になれるし。


だが俺には「タカミムスヒ→アマテラス」説は、とても重要なことをスルーしているとしか思えないのだ。


それは日本書紀』本文で天孫降臨を命じているのはタカミムスヒ(「皇祖高皇産霊尊」と明記してある)であり、アマテラスが命じているのは「一書」の方であるということだ。「本文」に書くということは、これが正統だと『日本書紀』の編者が主張しているということであり「一書」の方が異説とみなされているのだと考えるのが自然だろう。


これが逆なら話はわかる。本当はタカミムスヒだったのを『書紀』が改竄したのだと。ところがそうではないのだ。むしろそこから連想されるのはアマテラスからタカミムスヒへの転換だ。


こんな重要なことを軽視して都合の良いところだけを採用するというのは、実のところ戦前の思想の表面的な裏返しにすぎず本質的な部分は変わってないのである。


なお皮肉なことに「聖徳太子虚構説」の大山誠一氏は「アマテラス→タカミムスヒ」を主張しておられる。大山氏の説は俺が考えるものとは全然違うので支持できないけれど「時代の空気を読まない」という点では評価できるのである。