何でもかんでも白村江のせい

ついこの前

もちろんそういう「国際的な視点」も重要ではある(ただし白村江の戦いについては、何でもかんでもそのせいにして過大評価しているように思うが)。

アマテラスとタカミムスヒ(9)学者の国際感覚
と書いたばかいだけれど…


でました白村江が原因説!
645年→646年に変わった大化の改新に「そもそもなかった」説 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
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 また、孝徳天皇が営んだとされる前期難波宮は、近年の発掘調査で、もう少し後世の天武天皇の時代のものではないかと見直されている。律令制度が我が国で本格化するのは、白村江の戦(663年)で敗北し、国内の改革を痛感するようになった天智天皇の時代だ。こうした点を総合的に判断すると、大化の改新なるものは疑う必要がある」


そしていつもの歴史学者お得意の陰謀論!!

「『日本書紀』が編纂された奈良時代天武天皇系がわが世の春を謳歌した時代で、真に律令制による改革を行なった天智天皇を過大に評価することはないだろう。何らかの政治的意図で天智天皇を“格下げ”するために、中大兄皇子を残虐なクーデターの首謀者として位置づけた可能性は捨てがたい」

こんなベタな陰謀論がアマチュア歴史研究者の口からではなく古代史の著名な学者の山尾幸久氏から発せられるのだから、日本歴史学におけるプロとアマは大局的に見れば大差ないのである。


まあ陰謀論は論外として「白村江原因説」は可能性としてはありますよ、可能性としては。でも、こういうのは(インテリを自認している人ほど)受けが良いから直ぐに浸透しちゃうんですよね。そして、それを批判する者には「頑迷固陋」とか何とかレッテルが貼られる。「聖徳太子非実在論」と同じ。


ところで、大化の改新があったかなかったかはともかく(俺はあったと思うけれど)、この時代に大きな政治変革があったことは認められている。その原因が「白村江の敗戦」以外に考えられないかといえば、俺はそんなことはないと思う。それよりも遥かに重要かつ深刻な問題があったと思う。


それが何かというのは、今は他のことに取り組んでいるので書かないけれど、天智天皇より前の時代、推古朝の前後頃より芽生えて急速に発展した問題が遂に政治体制の大変革なくしては解決しないほどに深刻化したということだろうと思っている。


(追記)
それにしても「大化の改新」の記事が「何らかの政治的意図で天智天皇を“格下げ”するために、中大兄皇子を残虐なクーデターの首謀者として位置づけた」って何じゃそりゃ?"英雄として仕立て上げられた"とかいうんならまだわかるけど。だったら壬申の乱大友皇子を武力で自害に追い込んだ大海人皇子天武天皇)は何なんだって話ですよ。