「慣用音」とは理論から外れた音である

「固執」は「こしゅう」なのか「こしつ」なのか?(日本語使い方考え方辞典 - 岩波書店)

 日本の漢字音と,基となった中国漢字音との間には,おおむね規則的な対応関係がある.ところが,現実に行われている漢字音の中には,この規則性に基づいて理論的に求められた呉音・漢音等とは異なるものが多数存在する.漢和辞典をはじめ,理論的に呉音・漢音等を導く立場からは,このような漢字音を慣用音と呼んでいる.これに対して,現実に行われる漢字音を尊重する立場では慣用音という枠組みを立てていない.

ここにはっきりと「この規則性に基づいて理論的に求められた呉音・漢音等とは異なるもの」と書いてある。これこそ俺の知りたかったものだ。


これは「理論」なのだ。そこをちゃんと抑えておかないと歪んだ理解をしてしまうだろう。


「呉音・漢音等」というのはおそらく「漢学者が把握している音」ということだろう。一方「慣用音」とは要は「その他」ということであって、一口に慣用音といっても中身は多種多様であると考えられる。しかもなぜ理論と異なるのかという理由が完璧にわかっているわけではない。単に理論と異なるものを「慣用音」というカテゴリーでまとめているだけだ。


それは学術的な研究のためには有用かもしれないが、学術外で「慣用音」「慣用読み」を使用する場合は誤った使われ方をする危険が多そうに思われる。特に「正式な読み方」・「本来の読み方」とは異なるなどという言い方は辞書にも載っているけれど、誤解を加速するものだろう。


そして、これは推測ではあるけれど、現代においてはそうではないが、過去においてはその「正式な読み方」こそが正しいのだ、という考え方が強かった時代があったのではないか?その担い手は漢学者や儒者などではなかったか?さらに全てがそうではなかっただろうけれど、トマトをトメイトゥと発音する気取り屋と同様に、漢熟語を日本で定着している慣用読みを見下して使わず「正式な読み方」で読むインテリなんてのもいたのではないか?


慣用読みの中で「漢字の声符(音を表す構成要素)からの類推によるもの」は「百姓読み」と呼ばれる。この「百姓」というのは「おおみたから」という意味ではなく、無知な連中による間違った使い方という侮蔑的なニュアンスがあるのではないか。


もちろん俺は無知だから、そのような「漢語原理主義」「漢語復古運動」みたいなものがあったのかを知らない。知らないけれど国学の隆盛や王政復古などの流れの一方でそのような動きがあったというのはいかにもありそうではある。