⇒「捏造」の本来の読み方が「でつぞう」とは! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
な、なんだってー!
辞書を見ると
[名](スル)《「でつぞう(捏造)」の慣用読み》事実でないことを事実のようにこしらえること。でっちあげること。「記事を―する」
⇒ねつぞう【捏造】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
と確かに書いてあるのだから間違いないんだろう。
しかし「でつぞう」がなんで「ねつぞう」に変化するんだろう?
というわけで検索すると
音読み
呉音 : ネチ、ネツ
漢音 : デツ
⇒捏 - ウィクショナリー日本語版
とある。呉音で「ねつ」と読むのになぜ本来の読みが「でつぞう」ということになるんだろうか?
ちなみに「造」は
呉音 : ソウ(サウ)(表外)、ゾウ(ザウ)
漢音 : ソウ(サウ)(表外)
慣用音 : ゾウ(ザウ)
⇒造 - ウィクショナリー日本語版
とある。漢音では「ソウ」だ。だったら「でつぞう」ではなくて「でつそう」ではないのか?
日本では伝統的に「でつぞう」と呼んでいて、それが昔の史料で確認できるということだろうか?
謎
(追記8:20)
上と同じ人の記事
確かに白川静の名著『字通』(平凡社)には「捏」について「声符は旁のデツ」《注1》と明記されている。そう言えば「でっち上げ」を「捏ちあげ」と表記することもある。『新潮日本語漢字辞典』によれば、呉音では「ネツ、ネチ」といい、漢音での読みが「デツ」としている。そして同辞典は「捏造」に「でつぞう」とルビをふった夏目漱石の作品の一節《注2》を挙げている。
《注2》 『吾輩は猫である』からの引用。「人間の定義を云ふと外に何にもない。只入らざる事を捏造(でつぞう)して自らを苦しんで居る者だと云へば、夫れで充分だ」
⇒「消耗」の読みは「しょうこう」か「しょうもう」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
『吾輩は猫である』に「でつぞう」と書いてあるのが証拠ということなんだろうか?いやそうじゃないかもしれないけど。白川静というキーワードに若干不安がなきにしもあらず。
(追記 8:27)
「捏(でっ)ち上げ」という表現は、その本来の読み方からきたものだ。
検索すると「でっちあげ」の語源が「捏」という説が多く見つかるけれど、これはどれほど確かなことなのだろうか?これも白川静説?
(追記8:35)
でっち‐あ・げる 【×捏ち上げる】
[動ガ下一]
1 ないことをあるように作り上げる。捏造(ねつぞう)する。「手柄話を―・げる」
2 なんとか形だけは作り上げる。「宿題の作文を―・げる」
例文が現代語しかないんだけれど、古典に「捏ち上げ」という記述はあるんだろうか?史料によって確認したのではなくて、そういう経緯でできたんだろうという想像なんだろうか?そもそも「でっちあげ」っていつからある言葉なんだろう?
(追記10:45)
「残滓」は
《慣用読みで「ざんさい」とも》残りかす。「封建思想の―」
⇒ざんし【残滓】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
と、こっちは「ざんさい」が慣用読みだとある。
[音]シ(呉)(漢) サイ(慣) [訓]かす
「サイ(慣)」だから慣用読みだというのなら、「捏造」もやはり「でつそう」であって「造」を「ゾウ」と読むのも慣用音だから「でつぞう」も慣用読みではないのだろうか。
慣用音を用いた読み方。
⇒かんようよみ【慣用読み】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
でも「造」は慣用音で「ゾウ」だけれど呉音でも「ゾウ」と読む。だから慣用読みではないということになると「捏」も呉音で「ネツ」と読む。
なんだかよくわからない。