『アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る』(溝口睦子 岩波新書)より
天皇家の先祖である天孫に、地上世界(日本)の統治を命じて天降らせたのは誰かという問題は、実は研究者の間では、すでにかなり以前に決着がついている。すなわち、いま述べた「タカミムスヒ」という忘れられた神が、天孫に天降りを命じた降臨神話本来の司令神(主神)であって、「アマテラス」はあとからその地位についた後発の主神だということが、すでに共通の認識になっている。
研究者の共通認識にド素人が異議を唱えるのはトンデモの第一歩である。
しかしながら、へそ曲がりの俺はこの話にどうも納得がいかない。
まず、『日本書紀』本文には天孫降臨を命じたのがタカミムスヒだとはっきり書いてある。本文に書いてあるということは、すなわち『日本書紀』成立の時期にあっては、天孫降臨を命じた神はタカミムスヒだというのが諸説と比べて最も優位な説であったということだ。
天孫降臨を命じた神がタカミムスヒからアマテラスに代ったというのなら、なぜ『日本書紀』は本文にそれを持ってこなかったのか?
俺には理解しかねる。
むしろ話は逆ではないかとさえ思える。すなわち、アマテラスが先でタカミムスヒが後ではないのかということだ。
先にアマテラスが命じた神話があったが、『日本書紀』成立の時代にタカミムスヒ説に勢いがあり、その後またアマテラス説が盛り返したのではなかろうか?
無論、さらに遡れば命じた神はアマテラスではなかったのだろう。だが、おそらくタカミムスヒでもなかったのではないかと思う。
その神は「天つ神」であり、今では(というか『書紀』の時代に既に)名前を忘れられた神ではなかっただろうか(元から名前がなかったかもしれないが)。
タカミムスヒが本来の命じた神であるようにみえるのは、その「天つ神」をタカミムスヒと同一視する思想があったので、そうみえるのではないだろうか?
(多分つづく)