アマテラスはどのような神なのか?(その2)

アマテラスはどのような神なのか?
の続き。


『アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る』(溝口睦子 岩波新書)ではアマテラスを「天の至高神」「天の主神」などと表現している。アマテラスは「高天原」の主神ではある。だが、それが「天の主神」であることを意味するのか?


先を読むと、それの答らしきものが書いてあった。

第一にあげたいのは、「天」と「太陽(日)」、そして「日月」との同一視である。同一視というより、置換可能な概念と言ったほうがいいかもしれないが、要するにこの三者を、後述のように高句麗や北方遊牧民族の間では、王の権威の源泉として、区別することなく用いているのである。そして日本の初期の天孫降臨神話にも、その痕跡がみられる。しかし中国の古代思想で、「天」と「日月」を同一視することはない。


その後、高句麗や北方遊牧民族における具体的な説明があるのだが、日本については、

では、日本はどうかとみると、『日本書紀』の顕宗天皇(五世紀末の天皇)三年条に、「月神」「日神」が、ともにタカミムスヒを「我が祖タカミムスヒ」と呼んだという、注目すべき記事が載っているのである。タカミムスヒが日・月の祖であるということは、タカミムスヒと日・月の三者が密接に結びついている、三者は一体の関係と考えられていることを意味しよう。

とある。


俺の読解力では何を言いたいのかよくわからない。「天」と「日月」の同一視と、日月の祖がタカミムスヒだということとに共通点があるのだろうか?むしろ同一視してないから「我が祖」になるのではなかろうか?


よくわからん。


※ ちなみに顕宗天皇の記事は3年2月1日、阿閉臣事代が任那に赴いた時、月神が人に憑依して託宣し、また4月5日(場所は不明で大和とも考えられるが、本来は任那だったかもしれない)、日神が人に憑依して託宣したもの。これが史実だとして、まず任那という場所が気になるし、託宣というものを考えた場合、憑依された人はトランス状態で言葉を発したであろうことが予想され、それを「解読」して託宣が完成するのではないかと思われ、憑依された人物が任那の住人であれば、朝鮮半島の思想の影響を受けていた可能性があり、一方「解読」したのは阿閉臣事代(言代)であると思われるから、大和風の解釈をしたのではないかなんてことも考えたりして、とにかく簡単に決め付けることはできない代物ではないかと思う。