出雲大創建神話の驚くべき解釈

今年になって「武田信玄のラブレター」とか「立国は私なり、公にあらず」とか「麻生発言」とか「日本国憲法第99条」とか「解釈」についての記事を何本も書いた。


今回また驚くべき「解釈」の問題を見つけてしまった。


今年の正月にNHKでやってた出雲大社の番組をきっかけに「国譲り神話」を調べていることは前に少し書いたけれど、その過程で出雲大社創建神話としてよく知られている話に異論があることを知った。


一般に知られている神話はウィキペディアで以下のように説明されている。

大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)

出雲大社 - Wikipedia


創建神話には他にもウィキペディアに書かれているように『日本書紀』や『出雲国風土記』によるものもあるけれど、これが一番有名だろう。


ところが『古事記』のこの部分はそういう意味ではないと主張する論文があったのだ。


下鶴隆という学者の説によれば、この部分は

ただ私の住まうところ(葦原中国)を、天つ神である御子が神聖な皇位を伝えておられる御殿のように、大磐石の上に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて、治めてくださるならば、私は〈百足らず〉多くの道の曲がり角を経て行く、遠いところに隠れておりましょう。

CiNii 論文 - 国譲り神話の解釈について--口誦句分析からみた令前のオホミヤ
と読むのだという。


つまりこれは「立派な宮を作る」という意味ではなくて『「天つ神である御子が、神聖な皇位を伝えておられる御殿のように」国を統治する』ということなのだという。


現在の定説を覆す衝撃的な主張だ。


しかし俺はこれを読んですぐにこの解釈の方が正しいに違いないと直感的に思ったのである。ただしあくまで直感的にであって検証すべき部分は多いけれど。


また調べなければならないことが増えてしまった。


※ なおこの論文は2000年に発表されている。14年も前の重要な論文を知らなかったのは俺の無知のせいだが、しかし話題になっているようにも思えない。おそらく学界では支持者が少ないんだろう。



《参考》

ただわたくしの住所を天の御子(みこ)の帝位にお登りになる壯大な御殿の通りに、大磐石に柱を太く立て大空に棟木(むなぎ)を高くあげてお作り下さるならば、わたくしは所々の隅に隱れておりましよう。

稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 古事記 現代語譯 古事記青空文庫


「原文」

唯僕住所者。如天神御子之天津日繼所知之。登陀流【此三字以音。下效此】天之御巣而。於底津石根宮柱布斗斯理【此四字以音】於高天原。氷木多迦斯理【多迦斯理四字以音】而治賜者。僕者於百不足八十[土冏]手隱而侍。

古事記本文


古事記 全訳注 (1)』

ただ僕が住所は、天つ神の御子の天つ日継知らしめす、とだる天の御巣の如くして、底つ岩根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて治めたまはば、僕は百足らず八十坰手に隠りて侍らむ。

(次田真幸 講談社