神武東征伝説と「幻の大和国」(その10)

日本書紀」の景行天皇紀に以下の記述がある。

二七年春二月十二日、武内宿禰は東国から帰って申し上げるのに、「東国のいなかの中に、日高見国(北上川流域か)があります。その国の人は男も女も、髪を椎(つち)のような形に結い、体に入墨をしていて勇敢です。これらはすべて蝦夷といいます。また土地は肥えていて広大です。攻略するとよいでしょう」といった。
(全現代語訳『日本書紀』(上)』宇治谷孟 講談社

景行天皇の都がある「大和」から見て東方に「日高見国」という国があり、そこに蝦夷が住んでいるという。この「蝦夷」は、現在のイメージと「蝦夷」に近い。


しかし、これとそっくりな話が神武東征伝説にもある。

さてまた塩土の翁に聞くと「東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟に乗って、とび降ってきた者がある」と。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。
(引用同上)

これは同系統の「神話」だと俺は思う。神武紀の「高千穂」が景行紀の「大和」に、「塩土の翁」が「武内宿禰」に対応し、また「神武天皇の東征」に「日本武尊の東征」が対応している。


そして「大和」に「日高見国」が対応しているのだ。さらに、日高見国の住人が「蝦夷」だということは「大和」の住民も「蝦夷」だということになる。

エミシヲ、ヒタリモモナヒト、ヒトハイヘドモ、タムカヒモセズ。
 夷(えみし)を、一人で百人に当る強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった。
(引用同上)

この歌を神武東征のときに「皇軍」が歌ったと「日本書紀」に書かれている。「大和」の兵を「蝦夷」と呼んでいるのだ。


これについてどう解釈されているのか、ネットで調べてみたのだが、歴史学者喜田貞吉は、

蝦夷一人にわが国の人は百人かからなければならぬ。こういう説であるが、今いっこうに抵抗をしなくて、服従してしまったとのことであります。これが果たして天皇の御製であったならば、天応御東征のころ、大和あたりまでも蝦夷は住んでおったとのことになります。

蝦夷の馴属義経伝説)
と述べており、大和に「蝦夷」(一般的な意味での)が住んでいたと解釈している。しかし、そうではないだろう。

この歌のなかの蝦夷は、天皇服従しない大和の豪族をさしている。

平泉世界遺産岩手日報

と考えるのが自然だ。


さらに俺の考えでは、この二つの「東征伝説」はどちらも「神話」であり、征服された土地に住む民が「蝦夷」と呼ばれたのであり、後にそれが、高千穂の東方に位置する「大和」や、「大和」の東方に存在する「日高見国」という形になったのだろうと思う。