神武東征伝説と「幻の大和国」(その11)

日本書紀」景行紀によると、東国に「日高見国」があり、その国の住人が「蝦夷」だという。しかし、これは神武東征伝説と類似しており、この場合は「高千穂」から見て東にある「大和」が「蝦夷」の住む土地ということになる。

祝詞の一つである「大祓詞」の中では「大倭日高見国(おほやまとひたかみのくに)」が日本の別名として登場する。これについては神話学者の松村武雄が、「日高見」は「日の上」のことであり、天孫降臨のあった日向国から見て東にある大和国のことを「日の上の国(日の昇る国)」と呼んだものだとする説を唱えている[要出典]。その説によれば、神武東征によって大和国に移ったことによって「日高見国」が大和国よりも東の地方を指すようになり、最後には北上川流域を指すようになったということになる。

日高見国 - Wikipedia


松村武雄という学者がそのような説を唱えていたことを今回初めて知ったのだが、俺の考えもほぼ同じ。素直に考えればそういう結論になるのが自然だろう。


ただし、俺は、

その説によれば、神武東征によって大和国に移ったことによって「日高見国」が大和国よりも東の地方を指すようになり、

というのは、「神武東征」の出発地である「高千穂」と、征服された「大和」は最初からどこにあるのかが決まっていたわけではなく、後になって決定されたものだと考えている。従って「日本武尊の東征」もまた神武東征伝説の異説の一つであり、神武東征伝説に吸収されずに残ってしまった伝説が「別の伝説」として独自に発展していった可能性があると思う。


つまり、元々は、「高千穂」も「大和」も「日高見国」も神話上の土地であり、それがどこにあるのかという定説は存在しなかったと思うのだ。そして、高千穂が九州にあり、大和が畿内にあり、日高見国が東日本にあったと認定されたのは、大和国(現在の奈良県)が日本の中央、すなわち神話の「大和」だと認定された後に、大和国が東になる九州に「高千穂」があるとされ、大和国の東方に「日高見国」があるとされたのであろうと思うのだ。


要するに、全ては神話の「大和」が現在の大和国奈良県)にあると決定した時に始まるのだ。というのが俺の考え。


(なお、ヤマトの地名は元々現在地にあった可能性もある。元の神話では神話の舞台はヤマトと呼ばれておらず、その場所が決定した後に、土地の名がヤマトであったので、神話に取り込まれたのかもしれない)