続・言霊とミカン(その2)

まだつづくぜ。

 子供の理科離れが指摘されるなか、真偽不明の事柄をあたかも事実のように扱うことには違和感がある。心に平穏を与える宗教やおとぎ話を否定はしないが、世間には科学や善意のふりをしたまがい物が数多くあるからだ。

25時:言霊とミカン /宮崎 - 毎日jp(毎日新聞)


たったこれだけの文章の中にツッコミどころがいくつもある。

子供の理科離れが指摘されるなか、真偽不明の事柄をあたかも事実のように扱うことには違和感がある。

じゃあ「子供の理科離れが指摘」されていなかったら違和感持たないのかって。俺は持つけど、記者は持たないのかもしれない。


あと「真偽不明の事柄」というのもどうよ?そりゃ確かに厳密には「真偽不明」で間違いじゃないかもしれないけれど、これは「ほぼ偽といって間違いない」ようなものでしょう。これが「真偽不明」だというのなら、真偽不明のものは、公教育全体を見直さなければならなくなるほど相当広範囲に存在するんじゃなかろうか?


あと、「あたかも事実のように扱う」というのもどうよ?一方のミカンが腐り初めて、一方の変化がなかったのは、記事を見る限りでは「事実」なんでしょう(何かカラクリがあるのだろうということが予想できるけど)。それに記事を見る限りでは、いつでも、こういう反応が起こるという結論が導き出されたというようなことも書いてない。


俺は、問題はそういうことじゃなくて、そもそもこういう実験を行なうこと自体が公教育として問題があるということだと思いますけどね。


ここは、「科学的事実として認められていない事柄を、科学実験としては不十分な方法で確かめることにより子供に誤解を与えかねないことを憂慮する」みたいなことを、俺なら書きますね。