「企業のオーナーは社会主義の中央計画当局と同じ問題に直面せずにいられる」のか?

「社会民主主義者」としてのハイエク - PRIVATOPIA


非常に興味深い記事。


といっても、俺はハイエクの著書を一冊も読んだことがないド素人だし、リンク先の英文記事も読解するのは無理なんだけど……


それにもかかわらず、書いてみようと思ったのは、

しかし、ホップはこのハイエクの議論の問題点を指摘する。それは企業の存在となぜ企業のオーナーは社会主義の中央計画当局と同じ問題に直面せずにいられるかを説明できないことだ。むしろホップはミーゼスにならい、社会主義の問題を私的所有権の不在に求めている。

という箇所がとても気になったから。


ということは、このハンス・ハーマン・ホップという学者は、「企業のオーナーは社会主義の中央計画当局と同じ問題に直面せずにいられる」と考えているということになる。


これは果たしてどういうことを言っているのだろうか?そしてそれは正しいのだろうか?ということが疑問。


ちなみに俺は、企業のオーナーだって社会主義の中央計画当局と同じ問題に直面するだろうと思う。巨大企業においては尚更。でも、俺の考えていることが、この学者の言わんとするところとずれている可能性もあるんで自信なし。



最後に、度々引用している『保守主義 ― 夢と現実』(ロバート・ニスベット 昭和堂)の「財産と生命」という章から引用。

 土地財産を最善とするハードな財産や、いまだ巨大で不定形なものになっていない企業財産についての記憶と夢が、保守主義の精神のなかにはまだしっかりと残っている。数年前に分割されるまでのアメリカ電信電話会社のように、地上の多くの主権国家政府と同じくらい大きく、数十万人にのぼる従業員と数百万人の株式をもつ企業といったものは、保守主義者には、巨大な連邦政府官僚制と同じくらい受け入れがたいものであるにちがいない。合衆国西部の多くの保守主義者たちは、北東部と、何百もの大企業の側にたつ北東部の首脳たちを、多かれ少なかれ純粋な保守主義からはずれるもの、自由主義アメリカでは自由放任に反対する国家干渉主義的立場で、西欧の社会民主主義に近い)に傾いているものと見るが、これは驚くにあたらない。