「わかってない人」のための言論術

俺は世間一般の人よりも常識が足りないかもしれない。


だけど、一般的に言って、自分の専門分野、あるいは関心のある分野以外のことについては、詳しいことは良くわからないってのが大多数の普通の人々だと思う。いや、専門分野のことについてだって十分知っているという自信がない人だって多いでしょう。


たとえば、上の弁当の路上販売の件にしたって、東京都の条例がどうなっているのかなんて今まで知らなかったし、ましてやそれがどういう根拠に基づいているものかなど、ある程度予想は出来るけれど今でもわからない。


調べてみると、こういう営業形態を「行商」というらしい。
行商 - Wikipedia
「行商」というと、俺なんかは「薬売り」とか「野菜売り」とか「豆腐売り」とか想像するんだけれど、考えてみれば確かに「弁当売り」も行商だ。そんなことも知らなかったのかと言われれば、言い返す言葉もないが、知らなかったんだからしょうがない。


あるいは、食中毒に関しても俺は良く知らない。今まで生きてきて食中毒になったという記憶がない。もしかしたらなったことがあるかもしれないけれど自覚したことがない。だけどやっぱり食中毒は怖いものだとは思うから、ある程度は気をつけている。


もちろん食中毒が発生すれば、不特定多数を相手にする商売なら被害が甚大なものになるということはわかるけれど、何しろ経験がなく、新聞やテレビで見るだけだから実感が湧かない。そして、それが滅多に起きない不運な出来事なのか、それとも関係諸機関の努力のおかげで今まで経験することがなかったのかも、実のところよく知らない。


だから、行政が監視を強化するというのが、行き過ぎた介入なのか、当然するべきことであるのかもわからない。
(ただし、ルールがあるのなら、それを守るのが当然だし、ルールを守らないものは「公正な競争を阻害するもの」として排除する必要があるとは思う。ルール自体が不適切なものなら、批判すべきはルールそのものであって、それでルール破りが正当化されるわけではないと思う。なぜなら、そうでないと「正直者がバカを見る」ことになるからだ)



と、長々書いたが、俺がここで言いたいのは路上弁当販売の規制強化についてではない。ここからが本題


俺は路上弁当販売に関わる諸問題ついてほとんど無知。だが、それは俺だけではないと思う。でも、はてなブックマークのコメントとか見てると、コメンテーターの人たちが「わかってる人」みたいに見えてしまうんですね。その一方で「わかっている人」的振舞いをしてるにもかかわらずピントがずれてるなあと思うコメントが多いと思うわけです。いや、本人が自分はわかっているんだなんて言ってるわけじゃないんだけれど、俺の感覚では「良くわからない」という自覚があれば、こういうコメントはしないんじゃないかなと思うものがあるわけです。誰かを批判するコメントは尚更。


これは何もこの件に限ったことではなくて、常々思ってきたことなんですね。ネット上の言論ではこの手の「わかっている人」の言論が多い(ネット以外でもそうかもしれないけれど)。しかし、常識的に考えて世間の人がそんなに何もかも「わかっている」とも思えない。そこにトンデモ言論の発生原因の一つがあるように思うんですね。その手の言論は何もウヨサヨみたいなイデオロギーに凝り固まったところだけで発生するものではないと思うわけです。



で、俺は何も「わかってない人は黙ってろ」と言いたいわけじゃない。そういう主張をする人も見かけることがあるけれど、俺だって「わかってない人」だから、そんなのは勘弁してほしい。ただ、そういう「わかっていない人」はどういう主張をすればいいのかというのが問題になる。はっきりいって俺もわからんけど…


今までの言論というのはメディアが発するものが主流であり、そこで発せられるものは大抵「わかっている人」の側の言論であった(実際に「わかっている」のかはともかく)。それは受け手の側もそういうものを期待していたからだろう。しかし、ネット社会になって誰もが発言が出来るようになった現在、今までの「わかっている人」の言論を参考にしていると、トンデモ言論が大量に発生してくることになるのだろう。


今のネットで必要なのは、俺のような「わかってない人」が、わからないなりに発言できる、そういう言論術なんだと思う。


昔書いた記事
わからないことをわからないと書けばブログのネタになる - 国家鮟鱇