前にも書いたけれど、俺はきっこについては別にどうでもいい。出鱈目なことばっかり書いてるし、それについては割と認知されてると思ってるし。ただし、彼女をネタにして著名なブロガーが何か主張しているときは話は別。それに、こういうパターンは結構あることだから、少し書いとく。
⇒少数派の言論の自由と、命について(趣味 Web 備忘録 2010-05-18)
まず、何から手をつけるべきだろうか。まず徳保さんは誰を相手にしているのかについて。
リンク先に発言が掲載されている人々の中での多数派(以下、多数派と書く)の判断によると、きっこさんによるこの発言は「差別」なのだそうだ。畜産業に従事する人が傷付く言葉なので、きっこさんは反省して謝罪しなければならないらしい。私は、賛成しない。
きっこ発言で不愉快になった人は多いだろうと思う。その中で徳保氏が相手にしているのは、「きっこさんは反省して謝罪しなければならない」と主張している人「限定」ということになるのだろう。だが、その後に続く徳保さんの主張は、きっこ発言で不愉快になった人で「きっこさんは反省して謝罪しなければならない」とは考えている人以外にとっては、すんなり受け入れられる話かというと、そうではない。
そもそも、「反省して謝罪」する必要を感じない人というのは、必ずしも、発言内容によって、これは「反省して謝罪しなければならない」言論か否かの区別をした上で、今回のきっこ発言がそれに該当しないと考えたから、「反省して謝罪」しろと言わなかったのだとは限らない。
現に俺は、どんなトンデモ発言であろうと、基本的には、相手に対して「反省して謝罪」しろなどと言うつもりは毛頭ない。理由はいくらでもある。
- 自分が直接的な被害を被ったわけではない。それを要求すべきなのは被害者か被害者の代理人であろう。
- 基本的には思想・信条は当人の自由。政治家などが立場上言ってはいけない(とされている)ことを言ったとかいう場合はともかく。
- ネットにはトンデモ発言が溢れかえっている。そんなものを一々相手にして謝罪を迫るのは非効率極まりない。
- それよりも、それがいかにトンデモ発言なのかを周知させる方が効率的(ただし、それでさえ、一々やっていてはきりがない)。
- 基本的には発言者が本当に心から謝罪していなければ意味がない(形式的な謝罪でも意味のある場合もあるが)
- そこまでして発言者を「更正」させてあげようと思うほど俺は善人ではない。
- その他
徳保さんは、
私は、「言論の自由を徹底的に認めるべきだ」という立場には与しない。例えば、特定の人物・集団に対する殺意の表明は、その影響を鑑みるに、制限するのが妥当と考える。事実に反する言論、あるいは事実であっても公益に資するより私益を害する程度の方が大きい「プライバシーの侵害」に属する言論によって、特定の人物・集団を攻撃することも、制限されるべきだ。
しかし、言われた側が「傷付く」言論は全て禁ずる、という立場は採らない。
と書いている。その上できっこ発言は「制限されるべき」発言ではないということを言いたいらしい。そこに異論はない。異論はないが、そこから先がおかしいように思う。
というのも、「きっこさんは反省して謝罪しなければならない」という話と、「制限されるべき」という話は異なる話だと思うからだ。
「制限されるべき」という場合は、実際に制限された場合、本人が反省していようとなかろうと制限されるのであり、反省を迫るものではない。「反省して謝罪しなければならない」という場合、現在の日本では、(普通は)そう言ったところで強制力があるわけではないので、本人が嫌だと思えばそれまでの話だ。
逆に強制力があった場合は、単に罰を受けるというだけではなく、内心の変更を強制されるということになり、「表面的な反省」が許されないという過酷な状況になる。両者は区別されなければならないと思うのだが、往々にして混同されていると思う。