ニセ科学を肯定する人は、ニセ科学的な主張を信用することにより害を被ることもあれば、その同じ人がニセ科学的な信じるが故に、他者に情報を発信することで加害者になる可能性もある。
もし、ニセ科学批判というものが被害者の救済にあるのなら、被害者を救うために加害者を叩くことに正当性があるという考え方もあるだろう。
ところが、その被害者(x)は同時に加害者(y)になる可能性もあったりする。(x)=(y)とするならば、結局、ニセ科学批判は被害者叩きになってしまうんじゃなかろうか?
そうならないためには、批判の対象はあくまで「ニセ科学」であるとすべきなんじゃなかろうかって…
てなことを、
⇒はてなブックマーク - ニセ科学とかエセ科学とか…… | プロ作家 松本肇 のブログ \(^◇^)/ ★×9、☆×2、△×3
を見ながら思ったりして。
このあたりの方法論についてもっと考えてみる必要があるんじゃないかな。俺も含めてだけど。