自己を迫害される者として正当化する

STAP騒動から何を学ぶべきか

 番組の反響は、私の予想を超えていた。小保方氏を批判すると、大学や研究室に電話が殺到したのだ。お叱りの内容は「小保方さんを苛めないで」から、「日本の国富を流出させるのか」まで多岐にわたった。

 同時に、他局からも出演依頼の電話が殺到した。よほど、コメントしてくれる専門家がいなかったのだろう。当時、マスコミで小保方氏を批判すれば、世間の反発を受けるのは明らかだった。多くの研究者が引き受けなかったのは無理もない。

いや、小保方氏を擁護したらしたで批判が殺到したでしょう。


つい最近だってそんなことがありましたよね。
【STAP問題】厳しい目、寛容さを失う社会を象徴か  騒動の背後に : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)


事実は「小保方氏を批判しようが擁護しようが批判が殺到する」でしょう。


まあ、もしかしたら、こう考えているのかもしれない。「小保方氏を批判する自分は正しいのに不当に抗議される。小保方氏を擁護するのは間違っているので抗議があるのは当然だ」と。


だけど、小保方氏を擁護する方はする方で、そう思ってる人はいるでしょうね。


こういう傾向は、マーティン・ガードナーが指摘した疑似科学者の傾向とも共通するものである。

1.自分を天才だと考えている。
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考え、そのような自分をガリレオ・ガリレイやジョルダーノ・ブルーノといった、異端であるとして不当に迫害された偉人になぞらえる。

疑似科学 - Wikipedia


ニセ科学信奉者は自分が不当に迫害されていることを主張する。ただしニセ科学批判者にも同様の傾向がある人もいる(ニセ科学信者がニセ科学批判に抗議するのは自然のことであり、そういう人がいるからこそニセ科学批判の存在意義があるはずなのに)。


また、ネトウヨは日本がサヨクや外国人に不当にコントロールされていることを主張して自らの正当性を訴え、サヨクネトウヨの脅威をことさらに強調して自らの正当性を確保しようとする。


こんな「迫害されている自慢」は不毛である。まあ、ある意味こういうことをことさらに強調する人は「心の弱い人」であって「弱者」と言えるかもしれないが。



あと、

 2014年1月29日、小保方氏が割烹着お姿で記者会見してから、一年弱でSTAP細胞研究は、世界の科学史に残る不祥事となってしまった。我が国の科学界の信頼を大きく損ねたことになる。

こういうことを言う人も多い。しかし本当に「我が国の科学界の信頼を大きく損ねた」のだろうか?シェーン事件でアメリカやドイツは信頼を大きく損ねたのだろうか?そりゃある程度は損ねただろうし、「大きく損ねた」という言い方が間違いだというわけでもないだろう。でも一般に「大きく損ねた」と言われて受け取るイメージとはズレがあるのではなかろうか?


この手の言い方を好む人というのは、表面上は「敵」の存在を困ったものだと嘆きながら、「敵」が大きければ大きいほど自己の主張の正当性が確保されるので過大に評価する。無意識なのかもしれないけれど、そういう傾向があるのではないかと思うのである。