なぜつるまないのか?(その2)

なぜつるまないのか(の理由のひとつ):Chromeplated Rat

批判的な言説をなすにあたって団体をつくる優位性がある、とおっしゃるのでしたら、tonmanaanglerさんとjura03さんで団体をつくるところから始めてはいかがでしょう? 党派、でもいいですけど。

俺がやっていることとニセ科学批判には違いがあります。


俺は自分が書きたいから書くというのが第一の目的であって、要するに自分のために書いています。読む人がそれに同意してくれれば嬉しいけれど、同意してくれなくたって別に構わないのです。誤解があればそれを解くような努力はしますが、根本的に相容れない人と議論することに意義を感じないし、翻意させようとも思いません。一方ニセ科学批判は、単にそれはニセ科学だと指摘する活動などは別として、ニセ科学を信じている人を翻意させて被害を防ぐのが目的でしょう。


したがって、俺には団体や党派を組む必要など全くありません。一方、ニセ科学批判はニセ科学批判者のためのものではなくて、ニセ科学を信じることにより被害を受ける可能性のある人達のためのものでしょう(ニセ科学批判の定義にもよりますが一般的にはそうだと思います)。ゆえに、ニセ科学批判は自己の行動の正当化ではなく、ニセ科学を信じている人達(被害者になるかもしれない人)にとっていかに有益になるかということを優先して考えるべきでしょう。そのために団体を作るべきではないかと思っているのです。


ニセ科学批判の拠って立つ基盤は科学であり、それは俺のような個人的意見ではなくて定説として全てのニセ科学批判者が共有しているものであり、なおかつニセ科学信奉者との議論で覆るというようなものではありません。それに対するニセ科学信奉者はそれとは相容れない信念を通常持っています。そういう意味ではニセ科学批判者は最初から党派を組んでいるとはいえます。


しかしながら、共通しているのは基盤のみであり、その他については千差万別であるといえましょう。たとえばどこまでなら許容できるかについては、おまじない程度ならいいだろうとか、自己責任ならいいとか、自己責任といっても正しい情報を保有していなければならないとか、被害があろうとなかろうとニセ科学的なものは全部だめとか。その他の要素を組み合わせれば途方も無い種類の「ニセ科学批判」があることになります。前にどこかで「いろんなニセ科学批判があっていいんだ」みたいな話を聞いたことがありますが、それは批判者側の論理であって、何十何百ものニセ科学批判があったら話を聞く側は混乱するでしょう。ある程度は批判者側で整理する必要があると思います。


次に、ニセ科学批判者になるには別に資格があるわけでもなく誰だってなれます。その中にはレベルの低い、他人を批判するよりまず自分が科学とは何かを学ぶべきだというような人もいるでしょう(面倒なことになるだろうから名指しはしませんが)。団体を作ればそういうのを排除することが可能になると思います。もちろん彼らの発言を封じることはできませんが、ブランド力を持てば優先的に耳を傾けてくれる可能性があるでしょう。それだけでなく批判者側にとっても取るべき批判の行動指針としての役割を担うことにもなるでしょう。「"不適切な主張"については噛みつきます」と言っても、それで不適切な主張が無くなるとか減るというのは別の話であって、無くならない場合に「適切な主張」と「不適切な主張」を見分けることを信奉者の側に期待することは難しいでしょう。批判者側が「適切な主張」が届きやすくする工夫をすべきだと思います。


上と似ていますが、「ニセ科学批判」とは何かという問題があります。批判者側にはある程度共通の認識があるかもしれませんが、「ニセ科学批判」という言葉のイメージでは文字通り「ニセ科学を批判する」ということであって、極端な話「ニセ科学を信じている人間は死ぬべき」というようなものだって「ニセ科学批判」と受け取られる可能性があるだろうということを留意すべきです。そういうのはニセ科学批判ではないなどといって「信奉者側の無知」のせいにするのは批判者側の傲慢に見られる可能性があります。ニセ科学批判とそうでないものを区別するのに「何が書いてあるか」で判断させようとする傾向があるように感じますが、むしろ「誰(団体の会員など)が書いているか」を明確にすることで誤解を防げるように思います。


とにかく、批判される側は多数の批判を受け取るわけで、個別に自分の批判は正しいといっても、あるいは自分の認める範囲の批判は正しいといっても、批判される側がそれを正しく受け取るのは難しいわけです。


あと、俺が

表立って党派になっていれば、個別の言説の内容を吟味しなくても党派性批判ができて、そりゃお手軽でしょうけどね

俺がここで「党派性批判」について書いてるように読めましたか、俺がここで書いたのは「党論」についてですね。jura03氏が言う「党派性」のことではありません。個別にではなく同じような考えを持つ人たちの集団を一度に批判できるという意味です。もちろん「お手軽」ですよ。お手軽な方がいいじゃありませんか。批判される側にとっても二度手間三度手間にならなくていいじゃありませんか。俺は団体を一つだけ作れといっているわけじゃありません。過激派から穏健派まであればいいと思いますよ。いわゆる「党派性」というのは雑多な「ニセ科学批判」が仲間内で仲良くやっているように見えるということだと思いますよ。poohさん自身はそうではない、あるいはそう見えないのかもしれませんが。しかしpoohさんも全ての不適切な主張をチェックできるわけではないでしょう。限界というものがあります。誰と誰が似た考えを持っているのかチェックするのだって大変です。党派があればある程度区別ができますよね。政党だってそうでしょう。

逆に団体の外の不適切な主張は、団体とは関わりがないと突っぱねることが可能なのである。

と書いたのは、ニセ科学を信じる人に「それは我々の主張ではないから相手にしなくて良い」と言うことができ、かつ「後から都合の悪い主張を切り捨てたんだ」というイメージを与えないで済むという意味で書いたんですけどね。個人的に不適切な主張を批判しただけでは、批判していない人はどうなのか(推測はある程度できるかもしれないけれど)不明ですね。団体があれば一度に「我々はそれを支持していない」ということを表明できますよね。