将軍のお尻

馬足形 - 国家鮟鱇
に「本郷和人」さんが

 おできがお尻など、人の目に触れぬところにできたとすると、医者が診察の後に「将軍さまのおできは小豆大です」とか「楊子のようです」とか言うのと同じようなニュアンスで、「馬蹄です」とみんなにアナウンスした、という状況が考えられるくらいでしょうか・・・。もっとも、それだと、ちょっと大きすぎるんじゃないか、という疑問が出てくるのですが。

と書いておられるんだけれど、正直意味がわからない。特に「ちょっと大きすぎる」の部分が。「馬蹄」が形ではなくて、本物の「馬蹄」と同じ大きさだということを示しているということだろうか?


俺は「馬蹄」とは症状のことであろうと思う。それがどんな意味なのかは不明だけれど、もし名前の由来が「馬蹄の形のおでき」だとしても、それは「馬蹄形の場合が多い」という意味合いであって、必ず「馬蹄形」だというわけでもなく「馬蹄形」だから必ず「馬蹄」だというわけでもないという可能性もあると思う。


もし見たまんま馬の蹄のようだから「馬蹄」と呼んだというのなら、何も医師でなくたって誰だってそういう表現は可能であろう。「大きさ」なら触れば自分でもわかるんじゃなかろうか?


ここで、俺がわからないのは、将軍(義持は室町殿だけど)のお尻を見ることができるのが医師に限られるのかということ。であれば当然、形状を言うことができるのは医者のみということになる。現代人はあまり人に尻を見せることはないけれど、それはつい最近のことであって、一昔前はフンドシ一丁なんて珍しいことではなかったから、人前で尻を見せることは特にどうということもなかったと思われる。


しかし、俺は無知なんで室町将軍がフンドシをしていたのか知らない。また、庶民と将軍・准后などの貴人とでは違うということもあるかもしれない。「糸脈」なんて真偽不明の話もあるし。


また貴人であるからして、病院の待合室で待たされるということもなく、お付きの医師が速やかに診察してくれるであろうから、側近くにいる人に「ちょっと尻のおできどうなってるか見てくれないか」とか頼むより先に医師がやってくるということはあるかもしれない。


ただし、満済の場合は3月9日の時点でおできがあって北野参籠を欠席しており、医師の診断が13日だ。満済のおできがどこに出来たのか俺は知らないけれど、自分で確認できるところにあればどんな形かはわかっているはずだし、やっぱりお尻だったとしても医師が来る前に誰にも見てもらわなかったんだろうかと疑問に思う。


そして、もし医師がおできを見て「馬蹄の形のおできがあります」と言ったことで、初めておできの形状がわかったのだとしても、日記になぜそのことが書かれているのだという疑問がある。それを書くのならもっと他に書くことがあるだろうと。真っ先に書くべきは症状が重いか軽いかであろうと。


義持の場合、『建内記』に「為馬蹄之由申之。而奉療治之処、以外也。」とある。「馬蹄」とのみあり重症か軽症か書いていない。しかし「以外也。」と続くのは「馬蹄」が人命に係わるようなものではないと見られていたからではなかろうか?


満済准后日記』には「室町殿御座下御雑熱出来云々。今日於風爐カキヤフラル〃間、御傷在之云々。但非殊事云々。」とある。こっちには「馬蹄」が出てこない。その代わりに「但非殊事云々」とある。


これは「馬蹄」と「非殊事」がほぼ同じことを意味しているということではなかろうか?つまり「馬蹄は憂慮するような症状ではない」ということであり、且つ「馬蹄」と記すだけで意味が通じるということではなかろうか?満済の場合当然「馬蹄」の意味を知っていたはずだし。