「以外」が「予想を超えて程度が甚だしいこと」ということに異論はありません。
御雑熱自七日成痛、十日比三位房允能法師拝見、為馬蹄之由申之。而奉療治之処、以外也。一昨日久阿弥拝見之処為疽、已腐入之由申之、不可及療治之由申之云々。
は訳せば、
おできが7日に出来て痛んだ。10日に三位房允能法師が診察して「馬蹄」だと診断した。そこで治療していたところ、思いの外に(治らなかった)。一昨日久阿弥が診察したところ「疽」であった。既に腐っていて治療は不可能であるとのことであった。
ではないでしょうか?つまり「馬蹄=軽症」で治療は簡単だと考えられていたのに「以外」だったという意味だと俺は思います。
『満済准后日記』の方は
室町殿御座下御雑熱出来云々。今日於風爐カキヤフラル〃間、御傷在之云々。但非殊事云々。
であり、こちらでは「雑熱」が出来て、それを風呂で傷つけたということですが、おできが出来た日と傷つけた日は別の日だと思われます。『建内記』では7日に出来たことになっていますが、満済の日記の日付が正しければ、実際におできが出来たのはそれより前ということになるでしょう。すると『建内記』の10日頃というのは、実際は7日のことではないかとも思われます。
(なお『建内記』と『満済准后日記』では後者の方が信用できるというのが大方の見方だと思います。「くじ引き」の件で本郷和人氏は『建内記』を重視しているようですが)
いずれにしろ10日の時点でおできが傷ついていたのは間違いないところですが、『建内記』はそのことに触れていません。傷が致命傷になるという認識がなく、あくまで「おでき」が生死を決するという考えだったのではないでしょうか?
「但非殊事云々」というのは、当然医者の診断だと考えられます。傷があってもたいしたことはないと考えられていたということでしょう。この時点でおできは「馬蹄」と診断されていたと思います。
ところで、9日の「又御雑熱モ又御傷モ興盛云々」というのは「傷が悪化している」ではなくて、「おできと傷が回復に向かっている」ということだと思われます。「但両条更無苦見安平事共也」というのは、「それほど深刻ではない」というような意味ではなく「悪化しているのではなく良くなる徴候なのだ」という意味ではないでしょうか?