これは解読ではなくて解釈なんだけれど
所詮時剋到来迄候歟
これを盛本昌弘氏は
もはや、戦いになる時期が来たのでしょうか。
と訳している。「時刻到来を」辞書で引けば
何かをするのに都合のよい時機がやってくること。「海外進出の―だ
⇒じこくとうらい【時刻到来】の意味 - goo国語辞書
という意味。現代文ではこうだが、もちろんここではそういう意味ではない。「もはや、戦いになる時期が来たのでしょうか」とは元親が戦いを望んでいるということではないのは明らかで盛本氏もそこは理解しているはずだ。
しかし、ネットで「時刻到来」の用例を探してみると、
併御滅亡時刻到来迄候
(砂巌)
頓滅の時刻到来欤と申候
(建内記)
何れも時刻到来侯て、御弓の絃切れ、其の後、御鎗にて御戦ひなされ、
とある。あるいは比叡山焼き討ちについて
若し、此両条違背に付きては、根本中堂・三王廿一社を初めとして、悉く焼き払はるべき趣、御諚候ひき。時刻到来の砌歟、
とある。それを踏まえれば「所詮時剋到来迄候歟」の意味は「結局はわたくし長宗我部元親の(あらかじめ定められた)滅びの時がやってきた迄のことだろうか(運命から逃れられないのだから何をしても叶うことはないのだろうか)」と解釈するべきだ。もちろん「時刻到来」とあれば必ず滅亡を意味するわけではないけれども、ここではそういう意味と考えて間違いない。これはかなり自信がある。
これも前に本郷和人氏が「時刻到来」の意味を理解していないのではないかということを書いたのだが。
⇒『謎とき平清盛』(本郷和人)その6 - 国家鮟鱇
盛本氏もまたそのあたりを理解していないのではないかと思う。
※ 俺が思うに「時刻到来」には「末法の世が到来する」「終末が来る」といった予定説のニュアンスがあると思う。