長宗我部元親書状(斎藤利三宛) 天正10年(1582)5月21日


(8/1追記)
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長宗我部元親書状(斎藤利三宛)修正版



  尚々、頼辰へ不残申
  達候上者、不及内状候へ共
  心底之通粗如此候、
  不可過御計候


 追而令啓候、我等身上
 儀、始終御肝煎生々世々
 御思慮迄候、中々是非
 不及筆墨候


 一 今度御請、兎角于今致
   延引候段更非他事候、進物
   無了簡付而遅怠、既早
   時節都合相延候条、此上者
   不及是非候歟、但来秋調法
   を以申上、可相叶儀も可有之哉と
   致其覚悟候


一  一宮を始、ゑひす山城、畑山城
   うしきの内仁宇、南方不残
   明退申候、応、御朱印、如此
   次第を以、先御披露難成、
   頼辰も被仰候条、弥無残所
   存候、所詮時剋到来迄候歟、
   併多年抽粉骨、毛頭無真
   意処、不慮成下候ハん事
   不及了簡候


一  此上にも、上意無御別儀段
   堅固使者、御礼者可申上候、如何候共
   海部、大西両城ハ抱候ハて不叶候、爰ニ
   御成敗候ヘハとて不了簡候


一  東州奉属平均砌、御馬
  貴所以御帰陣同心候


一  何事も々々々頼辰可被仰談候、
   御分別肝要候、万慶期後
  音候、恐々謹言


   五月廿一日 元親(花押)


 利三御宿所


解読プリーズ



※ なお俺の字はとても汚くて自分でも後で何と書いたか読めないということもしばしばあるので、正確さは保証できない。、