俺の暫定的な答えは「光秀驚愕説」

本能寺の変の原因として織田信長の四国政策がクローズアップされているわけだが、それは1、信長の四国政策変更によって明智光秀の立場がなくなった。2.光秀は四国征伐を阻止しようとした。といったものが主流である。


しかし、この前書いたように俺は信長も、そして光秀も、斎藤利三石谷頼辰、空然らの交渉内容を知らなかったのではないか?という、まだまだ検証しなければならないことが多いのだけれども暫定的にそのような考えを持っているのである。
本能寺の変の謎は解明されるか?


光秀がそれを知ったのはまさにこの5月21日付で斎藤利三に宛てた長宗我部元親の文書の内容を利三が光秀に報告したときなのではないかと思うのだ。


そして、それを知った光秀は驚愕したのではないか?「おまえら何て事をしてくれたのだ!」と。


光秀は信長の四国政策を熟知していたのではないか?そしてそれに反対するつもりは毛頭なかったのではないか?
(なお、信長の四国政策が長宗我部を絶対に滅ぼさなければならないものだったとは限らない。強硬策と見せかけて交渉を有利に運ばせようとしていたということもあるかもしれない)


とにかくも利三らのやったことは信長の計画を台無しにするもので、信長が知ったら激怒するものだったのではないだろうか?そしてそのことを光秀は十分すぎるほど理解していたのではないか?


だが、光秀の知らないうちに、利三らの交渉は進行していた。もはやこれを無かったことにすることはできない。


※ 後世の史料に石谷頼辰が信長あるいは光秀の命令で土佐に赴いたように書かれているのは、事情を良く知らない長宗我部家中の人々から見れば、これが公式の使者のように見えていたからではないか?それを今さら実はそうではなかったと説明したところで彼らは納得せず、信長の信用を失墜させることになってしまい、取り消すことは不可能だったのではないか?


部下が勝手にやったこととはいえ光秀が責任逃れすることはできない。良くて光秀の切腹、悪くて一族郎党皆殺し、それほどの重大な問題だったのではないか?


光秀は詰んでしまったのではないか?


このピンチを切り抜けるには信長を殺すしかない。いや殺したところで生き残れる可能性はほとんど無い。そのことは光秀も良くわかっていた。それでも何もやらないよりは、少しでも生き残れるチャンスがあるなら実行すべきである。


それが真相ではないのか?


いや少なくともそういう可能性を考えるべきではないのか?