長宗我部元親書状(斎藤利三宛) 解読編その1

最初に断っておくけれど、何度も書いたように俺はド素人である。歴史及び古文に詳しい人が見ればそんな解釈あり得ないと思うような解釈をするかもしれない。そういう場合は「これだから素人は」とあざ笑うのではなくて、是非とも正しい解釈を提示していただきたい。

  尚々、頼辰へ不残申
  達候上者、不及内状候へ共
  心底之通粗如此候、
  不可過御計候

この部分は「追而書」と言われるものであろう。

これに対して私文書たる書状にあっては,本紙の余白に書き,〈尚々〉あるいは〈返々〉ではじまるのが普通である。

追而書 とは - コトバンク
とあるので、この文書は「私文書」ということになると思われる。


「頼辰へ不残申達候上者」とあるので、石谷頼辰には既に同様のことが伝えられているものと考えられる。さらに「不残(のこらず)」とあり、また「粗」とあるので、利三に伝えられたものは大雑把なものであって、頼辰にはこれよりも詳細なことが伝えれらているのではないだろうかと思われる(多分)。


「不及内状候へ共」の「内状」とは

1 ⇒内情
2 内密の書状。
「―を通じて、事の由を知らせたりければ」〈太平記・三一〉

ないじょう【内状】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

と二つの意味があるけれど、この場合は2の「内密の書状」の意味であろうと思われる。


「既に石谷頼辰には伝えているので、利三に内密の書状で伝える必要は本来無いのだけれど」という意味ではないだろうか。


この書状が「石谷家文書」の中にある理由も、この書状が本来必要の無いものを念のために出したものという性質から、利三と頼辰の「相談」の後には頼辰が預かることにしたのではないだろうか?


「心底之通粗如此候」は、この書状に書かれていることが長宗我部元親が心の底で考えていること、すなわち嘘偽りのない本心であること、という意味であろうが、そういうことは嘘を言っているときにも普通に使うものではある。


しかし続けて「不可過御計候」とあり、この「過」が「過ぎる」という意味か「過ち」という意味か悩むのだけれど、「御計」とは「御はからい」で「判断」の意味で、ここでは「書状の解釈」ということだと思われるので、すなわち「書状に書いてあることは元親の本心なので、(元親の身を心配する利三が)変に気を利かせて裏の意味を読み取る(深読み・裏読み)というような余計なことはするな」ということではないかと思われる。


つまり、ここでいう「心底」は修辞的なものではなくて、正真正銘の「心底」だということになるのではないだろうか。