石谷家文書の解読(その9)

次に


石谷家文書』

一  此上にも 上意無御別儀段
   堅固候者、御礼者可申上候、如何候共
   海部、太西両城之儀者相抱候ハて
   不叶候、(以下略)

盛本昌弘氏読み下し

一、この上にも 上意御別儀無き段堅固候は、御礼は申上べく候、如何候共、海部、太(大)西両城の儀者、相い抱え候ハて叶わず候、(以下略)

盛本昌弘氏訳

一、この上信長の御意が別状ないならば、御礼を申し上げます。とにかく海部・大西両城は確保しなくては叶いません。(以下略)

「この上」とは

1 今の程度以上。これ以上。「―迷惑をかけるな」
2 (多く「このうえは」の形で)事がこのようになったからには。「―は友情を断つしかない」

このうえ【此の上】の意味 - goo国語辞書
どっちの意味だろうか?


「上意無御別儀段堅固候者」とはどういう意味か?「別儀」とは

1 ほかのこと。別のこと。余の儀。「お願いの筋は―ではない」
2 考慮に入れなければならない特別の事情。別状。
3 (打消しの語を伴って)都合の悪い事。さしさわり。支障。

べつぎ【別儀/別義】の意味 - goo国語辞書


「上意」とは

1 主君・支配者の意見、または命令。

じょうい【上意】の意味 - goo国語辞書


以上のことから考えれば
「信長の命令は絶対で元親の事情など考慮に入れる余地のない堅固なものならば」
という解釈も可能になる。しかし前後とのつながりを考えるとどうもおかしい。


「御礼は申上べく候」とはどういう意味か?「御礼」は常識的に考えれば、何かをやってもらった時に感謝の気持を表すことだ。ところが元親は城を取り上げられているのだ。なんでここで「御礼」なのだ?命令を受け入れるという意味だろうか?しかし無理があるように思う。それなら他の言い方がありそうなものだ。


そもそも誰に「御礼」をするのか?信長にか?頼辰・利三にか?


あれこれ考えて雰囲気的に一番しっくりくるのは、この前に一宮・夷山・畑山・牛岐・仁宇南方から撤退することを述べているので、そのことを頼辰・利三を通して信長に伝えて、信長がそれで十分だと承諾して、後で心変わりすることのない確かなものならば、頼辰・利三に御礼をしましょう、みたいな感じ。


だけども、あくまで雰囲気としてであって、それで問題がないとは到底思えない。「訳」があっても、結局どういう意味なのかさっぱりわからない。これも、もしかしたら「解読」に問題があるのかもしれない。しかし代替案は全く思いつかない。