長宗我部元親書状(斎藤利三宛) 解読編その2

 追而令啓候、我等身上
 儀、始終御肝煎生々世々
 御思慮迄候、中々是非
 不及筆墨候

正直何て書いてあるのかわからない。定型的な文章みたいだから、わかる人には簡単なことなんだろうけれど…


「追而令啓候」は「近いうちにお礼致します」ってことか。


「我等」は「元親の家族」または「元親家中」ということか。


「我等身上儀、始終御肝煎」とは「我等の身の上を始終(=頻繁に)(利三が)世話をして下さること」ということで、それについてお礼をしたいということか。


「生々世々御思慮迄候」が全くわからない。「生々世々」とは「永遠」という意味か?
生々世々とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書


「思慮」はそのまま「思慮」で「おもんばかり」という意味なんだろうけれど、誰の思慮という意味なんだろう?「御思慮」とあるから「利三の思慮」ということか?


でも「利三の永遠のおもんばかり」ってちょっと意味がわからない。しかも「御思慮迄」の「迄」がこれまたわからない。


「中々是非不及筆墨候」はその、利三の肝煎や思慮が文字で表現できないほど絶大なものであるという意味か?あるいは、文字で表せないほど感謝しているのでお礼を何と書けばわからないというような意味か?


何と書いてあるのかさっぱりわからないんで、わかる人は教えて欲しいんだけれど、全体の意味としては利三への謝意を表しているということは間違いないだろう。


これは特にどうということもない文章ということになるかもしれないけれど、利三と長宗我部氏の関係が密接だったという証拠になるだろう。今回発掘された長宗我部元親書状(天正6年(1578) 12月16日)でも元親嫡男が信長より「信」の字を拝領したのは利三を通してだったことが明記されている。これらは単に織田と長宗我部の仲介者としての仕事という以上に、利三が長宗我部氏のことを親身に世話していたことを示しているのではないかと思う。