「同心」の意味(3)

さらに引き続いて「東州奉属平均之砌、 御馬・貴所以御帰陣同心候」について。


「同心候」が「同心します」なのか「同心しました」なのかで意見が割れている。甲州征伐を終えて織田信長安土城に帰陣したのは4月21日。一方、長宗我部元親書状の日付は5月21日。書状が天正10年のものだとすれば丁度一月後となる。


いくら土佐が遠隔の地だといっても一月経って信長が安土に帰陣したのを知らないとは考えにくい。というわけで「同心しました」と解釈するべきだということになろう。


※ なお桐野作人氏は「信長公と貴方(あなた)がご帰陣されたので見方します」と訳されている。俺も最初は「貴所」に「あなたさま」という意味があるので、これは斎藤利三が(近江坂本城に)帰陣することを意味しており利三の帰陣のことではないかと考えていたのだけれど、「 御馬」と空白があることから「信長の御馬」であることはほぼ間違いなく、だとすれば「貴所」とは安土城のことになるだろう。これを「信長の御馬」と「あなたさま(利三)」と解釈するのは無理があるのではないだろうか?


ただし、これは元親書状には5月21日現在の心境を書いていると考えた場合のことである。そうではなくて、天正10年正月に石谷頼辰に話したことを書いているのだとしたら話は違ってくる。


甲州征伐のために織田軍の先鋒隊が出陣したのが2月3日のこと。石谷頼辰がいつ土佐に下向したのか正確なところはわからないがその直前だったことになる。その時点の話であったとするならば「東州奉属平均之砌」とは「(いよいよ・ついに)甲州が征伐されて平和になる時節」という意味であろう。そして「御馬・貴所以御帰陣」とは「甲州征伐に成功して安土城に凱旋してきたら」という意味になろう。


ところで元親はなぜ「御馬・貴所以御帰陣」したら「同心」するといったのだろうかという疑問がある。単に「味方します」とか「指示に従いたい」とかでは、その理由がわからない。それなら「帰陣したら」などという必要はなく即座に「同心」したらいいではないか


そこのところが理解できない。いや一応、安土にいる信長に「同心」を伝えるための使者を送るという意味の可能性もあるかもしれないけれど釈然としない。他にはどんな可能性があるのだろうか?


で、俺はそれとは別のことを考えている。甲州征伐が終ったら信長は次に何をするのかということだ。それは毛利攻めと九州攻めである


つまり、「同心」とは毛利攻めと九州攻めに長宗我部は協力するという意味だと俺は思うのである。これならば「同心」するのに甲州攻めを終えて信長が安土に帰城したら=次に毛利攻めに着手するなら」というのは極めて自然である。


なお、桐野氏の『だれが信長を殺したのか』に藤田達夫氏が紹介した秀吉書状に対する元親の天正9年天正8年11月24日付の返状が載っているが、そこには

「一 阿・讃平均においては、不肖の身上たりといえども、西国表お手遣(てづか)いの節は、随分相当のご馳走を詢(はか)るべく念願ばかりに候」

とある。


すなわち、天正9年11月24日時点では信長の毛利攻めに元親が協力するのに「(元親による)阿・讃平均」という条件を付けていたのだが、その条件を元親は廃棄したということを表明したということであろう。


そしてその時期がいつかといえばやはり天正10年正月がふさわしいように思えるのである。