「同心」の意味

「東州奉属平均之砌、 御馬・貴所以御帰陣同心候」の意味について考えてみる。


「同心」の意味は「デジタル大辞泉」によれば

1 目的・志などを同じくすること。一つ心になること。「それが我々―の道かと思われます」〈滝井・無限抱擁〉
2 ともに事にあたること。協力すること。また、味方すること。「義景公をはじめだれも―するものがござりませなんだ」〈谷崎・盲目物語〉

大辞林 第三版」によれば

1 同じ心・考えであること。また,心を合わせること。 「世上の人,−一致して/自由之理 正直」
2 心を合わせて事にあたること。特に,戦いで味方すること。 「一味−」 「宿運つきぬる平家に−して/平家 7」

同心 とは - コトバンク


林原美術館のサイトでは

甲州征伐から信長が帰陣したら指示に従いたい

林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について ―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含むー - 株式会社 林原
と解説している。


桐野作人氏は『歴史街道9月号』で

信長公と貴方(あなた)が帰陣されたので味方します。

としている。


ただ俺が思うには、これでは漠然としていて具体的な意味がわからない。


「指示に従いたい」とは何の指示に従うということだろうか?また「味方します」とはどういうことだろうか?


元親は文書で「上意」と書いている。「上意」とは「主君・支配者の意見(デジタル大辞泉)」という意味だ。敵(たとえば毛利輝元)が信長の意見を「上意」と書くとは思えないのであって、「上意」と書いている時点で既に元親は信長を「上様」とみなしていると考えるべきだろう。さらにいえば信長のことを「公儀」とみなしているんだろうと思う。


桐野氏の訳では「帰陣されたので味方します」とあり、既に味方になっているので「上意」と書いたと考えることも一応できるけれど、おそらくは「四國の儀は。元親手柄次第に切取候へ」という朱印状をもらった時点で「味方」という認識だったろうと思う。


したがって信長と元親の対立といっても、それは「敵対していた」ということではなくて、あくまで織田氏と長宗我部氏の「同盟」の中での対立ということになろう。元親はそういう認識を前提として織田と交渉していたのではないかと思われる。


その上で「同心」とは何かということについて思うところがあるんだけれど、それは後ほど。