個人主義と集団主義

実際、日本では政府による財政支出は「バラマキ」という言葉で激しい批判の対象になります。特定の業界や地方が潤う公共事業だけではなく、麻生政権の定額給付金や、鳩山政権の子ども手当など、国民に幅広く支給される財政支出ですら、激しく批判されました。この現象は一見「小さな政府」を重視する保守的な(あるいは「新自由主義」的な)動きのように思えますが、このように考えると「内集団ひいき」的な考え方に基づく動き(端的に言えば「よそ者に俺の税金をばらまくな!」)とみなせます。

また、「事業仕分け」のような「ムダを省く」政策に対する国民の支持が高いのも、「内集団ひいき」的な考え方の持ち主にとっては、「よそ者に俺の税金を回さない」政策と考えられているからでしょう。

なぜ日本人は自由競争も所得再分配も嫌うのか? - Baatarismの溜息通信
要するに「新自由主義」的な政策というのは、本来、個人主義から出てきたものなのに、日本では集団主義の人々に支持されているってことでしょう。

 日本の「新自由主義者」が嫌いなのは、そこに日本人の中にあるドロドロとしたルサンチマンがこびりついており、当人もそれを積極的に利用しようとしている点にある。この意味で、フリードマンなど筋金入りの「新自由主義者」が必ずしも嫌いではないのは、そういうルサンチマンがほとんどない点にあると言える。

日本の新自由主義は集団主義的 - dongfang99の日記
前者の主張が「新自由主義」を支持するのが集団主義の人々だという点を述べているのに対し、こちらは、「新自由主義」を唱えている日本人学者が既に集団主義的であることに重点が置かれているのだと思う(両者の「集団主義」なるものが同じものなのかというと微妙。違うような気もする)。


それに対し、

この一節には共感するところ大なのだが、最後の「あいつらだけずるい」と「集団主義的な感情」の結びつきはよくわからない。個人主義者だって「あいつらだけずるい」という感情を発することはあるよ。

「あいつらだけずるい」など - Living, Loving, Thinking
という指摘。その通りだろう。


ところで、「新自由主義」とは何かといえば、要は規制をとっぱらって、個人の自由を獲得しようという自由主義なんだと思うんだけれど、そうすることによって全体の利益も向上するということも唱えられている。それによって弱者も恩恵を受けるというわけだ。だから「個人主義」であるけれど、後者の側面が強調されれば「全体主義」「集団主義」的になるわけで、それに抵抗する者は社会の敵とみなされることになるのは、社会主義共産主義と同じだろう。そしてそれは日本に限らないだろうとも思う。
高橋洋一氏などのインテリ層が唱える既得権益批判はこちらの方に属するのではなかろうか。実を言うと高橋洋一氏のことあまりくわしくないんだけど…)