「たなばた」と「たばた」


名古屋市北区にある多奈波太神社

多奈波太神社 - Wikipedia

戦国時代に織田信長による焼き討ちで社殿とともに伝書などを焼失したと伝わり、創建年代は不明だが、延喜式神名帳に山田郡 多奈波太神社と記された。名古屋城築城の際、替地によって現在地に遷座したとも伝わる。

なお、この周辺は昭和50年代まで「七夕町」、それ以前は「田端村」と呼ばれており、当神社がこの地に置かれたことと関連付けて考える説もある。

「たなばた」と「たばた」っていかにも関連がありそうで興味深い。


しかし、ウィキペディアの「七夕」の項には、
七夕 - Wikipedia

古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や棚幡と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。

日本語「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕に纏わる歌が存在する。

と書いてあって「田端」との関係は書いてない。


七夕(たなばた) - 語源由来辞典
では『豊作を祈り種を撒く「種播祭り」(たなばたまつり)』の存在を指摘している。「七夕」「種播」「田端」は何か関係ありそうだ。しかしそれじゃ「棚機」との関係はどうなる?謎。


ちなみに、東京の田端の地名由来は、

田圃の端(はじ)に拓いた村であることから、田端と名づけられたといわれる。

田端 - Wikipedia
だそうだ。


あと、ついでに書けば、多奈波太神社は、前に何回か紹介したことのある伊奴(いぬ)神社と同じ尾張国山田郡にあり、現在俺はこの山田郡に非常に興味があるのであった。


(追記)
杉並区にも田端地名があった(現在の成田)。
田端神社
あと神奈川県寒川町にも。


さらに興味深いのは秩父
『山田氏館』

山田氏館は、武蔵七党の丹党に属していた、山田志麻守の館です。

なお、秩父郡内特に高篠地区には田端の苗字の家が多く、

信長の家臣、丹羽長秀の丹羽氏は武蔵七党の児玉党の出身といわれる。児玉党は秩父にも拠点があった。その長秀の屋敷跡は名古屋市西区児玉にあり、多奈波太神社のほぼ真西にある。


より大きな地図で 山田郡 を表示

で、多奈波太神社丹羽長秀宅址を結んだ直線と平行して北に名古屋環状線が走ってるけれど「秩父通」と呼ばれている。なぜ「秩父通」なのかは検索したけれど不明。めちゃくちゃ気になる。あともちろん秩父の「山田氏」も気になる。