短文メディアと誤解

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にも書いたことだけれど、Twitterとか「はてなブックマーク」のコメント欄とかの、短文メディアって、日常の出来事を書くとか、メモ代りに使うとかならいいけれど、論評とか批判とかに使うには、いろいろと問題が発生しやすいと思う。


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も、短文メディアの欠点がもろに出てるって感じ。ちなみに問題となっているのは討論会の要約が正確ではないということだけれど、それに対する高木氏のコメントもまた「その」とか「それ」とか「言った通りに書かれたもの」とかが、一体何を指しているのか、いろいろな可能性があるように思えてはっきりしないように感じる。


ちなみにgoogleで「短文メディア 誤解」を検索してみたら、一番上の記事が

Twitter みたいな短文メディアは、文章が短いから誤解が少ないし、ログがいつでも参照できるから、時間軸を超えて会話ができる。

できないことの使い分け - レジデント初期研修用資料


次の記事は、

「短文メディアで不用意なこと書いたら誤解を生みやすいかも」ってのがあって中文、あるいは長文メディアを好む人がいる反面、最近では短文デフォルトなblogを書く人も増えていたり..。特に日本でそういう傾向が強いみたい。

twitterに宿るアウラ? (体験知と情報知): muse-A-muse 2nd


というものであった。おそらく両者が想定しているものが異なるんだろう。


しかし、いろいろな受け取り方が可能になってしまうようなことについては、短文では説明しきれない部分があるので不向きであろうと思う。短文メディアでは当人が言おうとしていることと異なる受け止められ方をされてしまう恐れがある(長文でさえそうなる可能性があるのだから尚更)。


問題は、「そんなことは言っていない」と反論することは可能だけれど、「そうでないとも言っていない」ということだろう。通常こういう反論は屁理屈とされると思うんだけれど、短文メディアの場合は、その短文を受け手が想像して補う部分が大きいので、そもそも短文で情報発信すること自体に問題点が存在するということになると思う。


これを悪用すれば、受け手がそのように受け取るだろうことをあらかじめ想定して情報発信しときながら、批判されれば、そんなことは言っていないと開き直ることも可能だという点でも問題があるだろう。