⇒長江と「兄妹始祖神話」と「歌垣」(メモ) - Living, Loving, Thinking
より孫引き。
工藤隆「長江から延びる「兄妹始祖神話」」『毎日新聞』2010年10月6日
少し抜書き;
兄妹始祖神話の典型的な「話型」(モチーフ、大きな話の型)は、洪水などによって人類のほとんどが死に絶え、生き残った兄一人と妹一人(姉と弟、母と息子、父と娘、オバとオイという例も少数ある)が結婚し、肉塊や不完全児を経てやっと普通の人間の子が産まれ、以後子孫が続いて今に至っているというもの。この「話型」の神話を、長江流域の多くの少数民族が伝えている。
『古事記』ではイザナキ・イザナミ神話などに兄妹始祖神話の痕跡があるが、サホヒコ・サホヒメ兄妹などの二伝承はいずれも心中に終わる新しい段階のものである。一方、沖縄の兄妹始祖神話ではほとんどが島が栄えるというものであり、悲劇の結末で語られるものは少数だ。
気になったのは、
サホヒコ・サホヒメ兄妹などの二伝承はいずれも心中に終わる新しい段階のものである。
の部分。ざっと検索してみても、そのようなことを主張しているものが見当たらない。初耳だ。
あらすじはウィキペディアに載っている。
⇒狭穂姫命 - Wikipedia
確かに兄と妹ではあるけれど、これのどこに始祖神話的なものがあるのだろうか?謎。
サホヒメの子供はホムツワケ。
⇒誉津別命
誉津別皇子は父天皇に大変鍾愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、特に『日本書紀』では赤子のように泣いてばかりであったという。
このあたりがヒルコを連想させるというのがあるかもしれない。ただし父はサホヒコではなくて、垂仁天皇だけれど。
それに、
名の由来を記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、母により本牟智和気御子と名づけられたとする。母の狭穂姫命はその兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の叛乱)の際に自殺。紀では叛乱の前に生まれていたとするが、火中から救い出されたのは記に同じ。火中出産は木花咲耶姫の誓約に繋がるとの指摘がある。
とあるように、コノハナサクヤビメの火中出産の神話に近いように思われる。
ちなみに火中出産神話はラーマーヤナに似ていると思われ。
ラーマの即位後、人々の間ではラーヴァナに捕らわれていたシーターの貞潔についての疑いが噂された。それを知ったラーマは苦しんで、シーターを王宮より追放した。シーターは聖者ヴァールミーキのもとで暮すこととなり、そこでラーマの2子クシャとラヴァを生んだ。後にラーマは、シーターに対して、シーター自身の貞潔の証明を申し入れた。シーターは大地に向かって訴え、貞潔ならば大地が自分を受け入れるよう願った。すると大地が割れて女神グラニーが現れ、 シーターの貞潔を認め、シーターは大地の中に消えていった。ラーマは嘆き悲しんだが、その後、妃を迎えることなく世を去った。
工藤隆氏は大東文化大文学部日本文学科の教授。工藤教授の見解ということなのだろうか?それとも以前からそういう学説があるということなのだろうか?
⇒工藤ゼミHP
(追記 0:14)
『捜神記』巻14−1(通巻340話) 高陽氏(センギョク帝)の時代に、兄妹で夫婦になった者があり、帝は二人を山に追放した。二人は抱き合って死んだ→〔草葉〕1。
同母兄妹の物語としては木梨之軽王と軽大郎女の話があるけれど、それはこの話に似てると思われ。
(追記0:25)
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