山背大兄王の死

久しぶりに「聖徳太子研究の最前線」の記事から。
古訳経典によって神格化された山背大兄王:八重樫直比古「上宮王家滅亡の物語と『六度集経』」 - 聖徳太子研究の最前線


日本書紀における山背大兄王自害の記事のエピソード。「これに近い話と表現が、中国の初期の訳経の一つである康僧会訳『六度集経』に複数見える」という八重樫直比古教授の論文紹介。

 つまり、『書紀』の編纂に当たっては、古訳を用いた物語を含む様々な資料が前から集められていたのであって、この上宮王家滅亡物語については「『書紀』編纂の最終段階において、編纂や執筆に当たった者が作ったという推定は、おそらく成り立たないであろう」と推定するのです。

これは興味深い。



ところで、俺は前にこういう記事を書いた。
大友皇子は天皇に即位したのか(「日本書紀」は大海人皇子の行為を正当化しているのか)


歴史学者が既に指摘していることなのかどうなのか俺は知らないけれど、日本書紀には山背大兄王の死の記事に類似した話が存在する(と俺は考える)。


一つは蘇我倉山田石川麻呂の話。密告により無実であるにもかかわらず天皇の軍に攻められた石川麻呂は、天皇に反抗することを良しとせず死を選んだ。


もう一つは壬申の乱大海人皇子天武天皇)。近江朝廷に攻撃されることを恐れた大海人皇子は、石川麻呂と正反対に近江朝廷を倒し、自ら天皇に即位した。


山背大兄王蘇我倉山田石川麻呂、大海人皇子三者は似たような危機に瀕した時、三者三様の反応を示した。


この三つの話の類似を日本書紀の編纂者が意識していなかったとは俺には思えない


俺は、書紀編纂者は山背大兄王の行動は肯定的な評価を与えていると思う。石川麻呂も同様に肯定していると思われる。


問題は大海人皇子の行動で、一般的にこの話はこれは「正当防衛」であるとして、大海人の正当化を意図したものだとされていると思われ。


しかし、俺はそうは思わない。なぜなら「正当防衛が正当な行為である」(というのもおかしな表現だけれど)というのは普遍的な考えではないと思うからだ。


正当防衛が正当なら石川麻呂の行動はただの愚行になってしまうのではないか?石川麻呂は臣であって大海人は皇族だから違うって可能性もあるかもしれないけれど、ちょっと苦しいと思う。また書紀編纂者が石川麻呂の行動は愚行だと評価している可能性はほとんど無いと思う。


だとすれば、大海人の行動を書紀編纂者がどう評価したのかといえば、一般的な見解とは逆に、正当なものではないと評価していたのではないかというのが俺の考え。


ただし、だからといって天武天皇を否定しているわけではなくて、「行動が道徳的であろうがなかろうが天皇天皇である」という道徳を超越した天皇の絶対性によって天武を正当化しているのだろうと思う。むしろ天皇の絶対性を主張するためには、天皇が聖人君子でないほうが好都合であるかもしれない。


で、話を元に戻して、山背大兄王の記事に元ネタがあるのなら、石川麻呂や大海人の記事にも元ネタがあるのかもしれないなんてことも思ったりする。つまり山背大兄王(及び聖徳太子)を研究するのに山背大兄王の記事を単独で見るだけで良いのだろうかという疑問がある。


※八重樫教授の推定が正しいなら、山背大兄王の逸話は書紀成立以前に基本部分が成立していたことになるから、石川麻呂や大海人の逸話は(史実としてあったにせよ)、山背大兄王の逸話の影響を受けた形で記事が作られた可能性があると思う(それらも山背大兄王逸話成立以後の書紀成立以前に成立していたかもしれないけれど)。



しかし、そもそも学者はこの三者の記事の関連について意識しているのかどうか?あるいは無関係だと考えているのか?それすらわからないのであった。