神道の変化

例えば自動車のお祓いをやっている神社がある。もちろん古代に自動車などない。
また夜間のライトアップをしている神社がある。もちろん古代に電気はない。
またホームページを開設している神社がある。もちろん古代にインターネットはない。
また神社には洋服を着た参拝者がいる。もちろん古代に洋服はない。


バカなこと書いているように見えるかもしれないけれど、これだって立派な神道の変化でしょう。ただ普通それを変化だと認識しないだけで。しかし、もしかしたらこれらの変化が未来の神道にとてつもなく大きな変化をもたらしているかもしれない(もしかしたらだけど。未来のことなんてわかりっこない)。


原始時代には神社などなかった。山や石を崇めていた。やがて神社が誕生した。そこに国家権力の関与があることを重視する人達がいる。


そりゃ国家権力は関与したんだろう。そして国家権力の利益にもなったんだろう。だけど、そんな大仰な話なのか?とも思う。


古代日本が仏教を取り入れた。仏教には寺がある。仏教に対抗する目的で神社を作った。まあそうかもしれない。でも、寺というものを見て、こりゃ便利なものがあると取り入れることは不自然なことじゃない。信仰上大きな障害があったのに無理矢理取り入れたというのなら別だが。対抗するためといっても、現代の企業がA社が画期的なアイデアを採用していたら、B社もそれを採用しようとするのは当然の話であって、それと同じようなもんじゃないんですかね?


国家権力の関与といっても、国家権力は経済力があっただろうから、最新のものを真っ先に取り入れる力があっただろう。それを見て地方の有力者が「これはいい、うちでもやろう」みたいに流行していったって他愛もない話だったりするんじゃないの?なんて思ったりもする。


古代社会は中央集権的な社会だから、神道に中央集権的な要素があったとしても、逆に神道にだけそういう要素がなかったら、そっちの方がむしろ不思議な気もする。


国家権力の利益のためにといっても、そりゃ不利益になることだったらやらないわな、とも思う。


(7/23追記)
〈古代神社の成立〉ワークショップ - 仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

社殿建築と仏教との関係は印象論的に指摘されているのですが(伽藍に触発されて社殿が成立した、等々)、ちゃんと史料的に実証されてはいないんですよね。

びっくり