自分の身は自分で守る

市民と傭兵など - Living, Loving, Thinking
市民権と武装権 - heuristic ways

俺はこの件に関して、どこそこの本にこう書いてあるとかいったことを言えるほどの知識がないんだけど、少し気になる点がある。


アメリカが銃社会なのは、アメリカには「自分の身は自分で守る」という風習があるからだと思う。「自分の身」とは自分自身や家族、私有財産、権利などのことであって、「自分で守る」とはもちろん自分の生命を賭けてというのもあるんだろうけれど、自分の財産を使って用心棒を雇うというのも含まれていると思う。


上の二つの記事は、アメリカの近代市民革命的な側面に注目しているように思われるけれど、アメリカには逆に中世の独立自治の、ある意味時代遅れの慣習がかなり濃厚に反映しているように思う。それが特殊なのは、ヨーロッパの中世には王がいるのに、アメリカには王がいなくて民しかいないというところにあるんだと思う。日本人の均質性みたいなことが良く言われるけれど、トクヴィルアメリカ人の均質性を指摘していたと思う(多分)。


ま、よく知らないんだけど…

当時のイングランド国王ジョージ3世は「反基督」に結びつけられ*3、一般大衆は勿論のことハーヴァードやイェールの学長までが英国との戦いは悪魔との戦いであると信じていた(pp.84-85)。革命軍側の「残虐」さというのは多分そのことと関係があるだろう。

俺の浅い知識では、アメリカ植民地の住民は最初から独立を望んでいたわけではなくて本国と同等の権利を求めていたのだが、それが叶わないとわかったときに、一気に独立派を支持することになったと聞いている。そういう宗教的憎悪がどれだけ浸透していたのかちょっと疑問。これも単にそう思うってだけだけど。


 これは実は日本の歴史にも関係している。「一六世紀末の豊臣秀吉による朝鮮侵攻の時点には、すでに日本の武士団の四分の一を鉄砲隊が占めるまでに銃が普及していた」が、その後、農民層からの「刀狩り」(鉄砲・刀狩り)や、「鉄砲鍛冶の規制」が推進され、「武装権は、帯刀というかたちで、武士にのみ許される特権となるのである」。

今では良く知られていることだと思うんだけれど、刀狩とは反乱を封じるためというより、身分制のためであり、禁じられていたのは「二本差し」であって、農民は狩猟のために銃を所有していた。しかし一揆でそれを使うことは自粛されていた。というのが有力な説。
刀狩 - Wikipedia