バカをバカと言うことの無意味さ

「上から目線」ということの無意味さ :: Archives

こういうの見るとつい言っちゃいたくなるんだよね。何しろ俺も「上から目線」が気になるバカだから。


AがBを「上から目線」だと評した場合、Aはバカなのである。その通りだ。少なくとも(1)の場合は、それを自覚しているのである。Aは自分がバカであることを自ら表明しているのである。Aは自分がバカであることを百も承知の上で、バカだからといってバカにしないでほしいと言っているのである。それを批判するということは、「バカをバカにして何が悪いのだ」と言っているのと同義である。バカをバカにすることが悪いかといえば悪いことではないかもしれない。しかし無意味である。



どういう語り方をすれば、「上から目線」で語られていると感じられてしまうかというと、それは語られた側の受け取り方次第なので、長い付き合いのある相手ならともかく、良く知らない相手だったら、わかりっこないのである。自分が上から目線で語っているつもりがないのに、相手からそう言われたら気分が良くないのかもしれないが、そういう事態は避けられないのである。受け取った方も「上から目線」だと感じたからといって、相手にそれを告げなくてもいいではないかというのなら、それは一理ある。だが、感じること自体がおかしいというのは、感情であるからして、止めろといったって止められるものじゃない。そして円滑なコミュニケーションのためには、お互いに感じていることを素直に表明して、お互いに歩み寄るのがベストである。すなわち、話し方を改めるとか、自分はこういう話し方しかできないので我慢してほしいと弁解するとかすればいいのである。逆にいきなりキレるのはワーストである。


そして、相手が上から目線だと感じること自体が悪いとする人は、そもそも対話する気がないのである。対話する気がないのが必ず悪いというわけではない。親が子に、教師が生徒に、上司が部下に、必ず対話しなければならないというものでもない。対話をしているつもりがないのに、「上から目線」だと言われたら、俺は対話をするためにお前に話をしているんじゃないと言えばいいのである。もちろんそれに対する反発もあるだろうが、それは既に「上から目線」の問題とは別の問題である。

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あと、別の価値観を持つ者同士の会話で、「上から目線」が出てくる場合は、上から目線で語ることを否定しているのではなくて、「お前に上から目線で語る資格はない」という意味である場合もある。たとえばキリスト教徒がキリスト教の価値観で仏教徒に語りかけるとき、キリスト教徒はキリスト教が真の教えであり、仏教は邪教であるとの前提で語りかけていたら、そりゃ何を語っても「上から目線」であり、仏教徒からは「お前は何でそんなに上から目線なんだ」と反発が出てくるに決まっている。キリスト教と仏教の話なら理解できても、これがカルト宗教だったり、疑似科学だったりすると理解できなくなる人は多そうだ。


(で、こういう場合、「上から目線」だと感じない人というのは、それを論理的な理由で信奉しているのではなかったりするから、「上から目線」だという反発もなく素直に話を聞いてくれたと喜んでいても、実はそんなに効果がなかったりする。理詰めで効果があるのはむしろ反発する人の方だったりして。セールスの仕事やったことある人なら似たような経験あるんじゃないかな)