人間は経済学の奴隷ではない

総理がQBハウスは許されず: 大石英司の代替空港

 一方、1時間掛かるものが10分で済めば、そら嬉しい話だけど、デフレからどうやって脱却しようかという旗振りをしなきゃならない為政者が、安くて早いからという理由で、こんなものに飛びついちゃ駄目です。業界団体は抗議すべきだと思う。

これについては

散髪の料金が下がるのは相対価格の低下であって、一般物価の下がる「デフレ」ではない。

池田信夫 blog : 今は「デフレ」ではない - ライブドアブログ


という意見もあるようだけれど、それ以前に、


どこで散髪しようが本人の勝手だろ


と思う。


これが「総理は質素でなけれならない」みたいな圧力があってそうしているとかいうのなら、それはそれで本人の勝手だろと言いたくなるが、そういうわけでもないのでしょう。


何で経済のために散髪をどこでするのかといった些細な人間の行動の自由に対して圧力がかけられなきゃならないのか?それって本末転倒というものではないのだろうか?


この手の話はかなり前からあって、俺が覚えているのはオリックス時代のイチローの金の使い道がスニーカー集めだったか何だったかで、それに対して誰だったか忘れたけれど評論家が同じく経済的観点から「彼はたくさん稼いでいるのだから、もっと金を使わなければならない」みたいなこと言っていて、この時もそんなの勝手だろと思ったことがある。



※ちなみに江戸時代の大名家が支出を減らすみたいな話などは、納入している商工業者等が困窮するという、経済学のような廻り廻っての話ではなくて直接的な話だから別だと思う。


※なお似たような話で、アメリカのブッシュ(父)大統領がブロッコリー嫌いで、ブロッコリー農家が怒ったという話があるけれど、これは経済学とは関係ない。アメリカの大統領は民主的に選ばれた王のようなもので、好き嫌いをはっきり言うべきではないみたいな話。「ローマの休日」のアン王女も印象に残った訪問地を聞かれて、付き人が「いずこも忘れがたく」と言うように助言してたし、日本の皇室もそうでしょう。


(追記 09/08/00:20)
「経済学 奴隷」で検索していたら

@HASSANKONAKATA 中田考
社会学・経済学の主体、客体となりうるのは、国家権力-社会学-経済学によって既に収奪・去勢・馴化された特殊な人間類型(「奴隷」)だけに過ぎない。そして社会学や経済学の普遍性要求は素朴な全能幻想でなどなく、レヴァイアサンによる人間の奴隷化の酷薄なプロセスの本質的な要素。
5月28日 Echofonから

というツイートがあった。
http://twitter.com/#!/HASSANKONAKATA/status/74187872550404096

中田考 - Wikipedia
これとイスラムとどんな関係があるのかはわからないけれど、中々鋭い指摘だと思う。