内田樹と「言葉なき政治の貧困」

内田樹先生が大阪府の教育基本条例に反対でも、TPPに反対でも、それはご自由にって話だ。


(ちなみに俺は大阪府民じゃないし教育基本条例にあまり関心が無いし、TPPは良くわからないので判断保留だが賛成か反対か二者択一せよと言われれば現状反対だが)



ところで内田先生は2009年に次のようなことをおっしゃっていたそうだ。

政策についての議論の目的は、ある政策についての国民的合意を形成することです。そして、国民的合意というのは「国民全員が同じ意見」であるということではない(そんなことはありえません)。・・・国民的合意というのは単一の命題のことではないからです。いつも申し上げていることですけれど、政策上の意見が対立するのは、ほとんどの場合「未来予測」が論者によって違うからです。・・・だから、論者それぞれの異なる未来予測の違いが、意見の対立になる。未来のことは今はわからない。だから、未来がどうなるかによって正否が変化するタイプの議論(すべての政論はそうです)について、現在「正解」を決定することは原理的にできないのです。
ですから、「私だけが『正解』を語っている」という主張をなすことは、それ自体が原理的に間違っているのです。

(「わにぞう日記」というブログからの孫引き)


「私だけが『正解』を語っている」という主張をなすというのは、いわゆるウヨサヨやリフレ派などに良く見られる傾向だけど、最近の内田先生の主張もまたそのようなものであるように俺は見えますね(元からそうだったようにも思うけど)。